第16話 エンリーケ再び



2025-02-04 22:15:35
文字サイズ
文字組
フォントゴシック体明朝体
 エンリーケは幼少期、酷いDV癖のあるアル中男を父に持ち、母とDVに耐える生活を送っていた。思えば母はいつも体調が悪かった。それは、母はDVに加え毎晩暴力的なレイプを受け、身籠っては流産し、出産してもすぐに子供を殴り殺されるような生活をしていたので、常に妊娠状態が途切れなかったためだ。
 エンリーケはたまたま頑健に生まれついたため父のDVに耐えすくすくと成長したが、弟や妹を二~三人父に殴り殺されている。
 何人目だかわからない子を妊娠し、無事にお腹の子が育っていることを確認した母は、この子だけは助けたい、と、妊娠中にエンリーケを連れてDVシェルターに飛び込んで保護された。エンリーケが十歳の頃である。
 後に母が父のDV被害と過去の殺人を警察に通報し、裁判の末、父は逮捕された。
 その後数年間は幸せな生活を送っていた。十歳違いの妹は可愛くて仕方なかった。体の弱い母と幼い妹を助けるため、エンリーケは中学を卒業すると上京して就職し、離れて暮らす母と妹に仕送りした。家族のためなら何でもできると、厳しい仕事にも耐え真面目に働いていた。
 しかし、上京して翌年、父が刑期を終えて出所した。そして訪れたのは母と妹へのストーカー行為である。母はもう二度と捕まるものかと、エンリーケのあずかり知らぬ土地へ引っ越したと電話で連絡が入った。エンリーケは、母と妹の逃亡生活のために金が必要だった。そして、堅気の仕事より簡単で高収入という言葉につられて、現在の組織に入ったのである。
 エンリーケは母と妹のために母の通帳へ仕送りし続けた。今どこに住んでいるか分からないが、生きていてくれさえすれば、彼女たちのために働ける。そして、同じ悲惨な人生を歩んできたヴィクトールと知り合い、心の傷を共有した仲間として、彼と親友の誓いを結んだのである。
 彼にとって、母も妹もヴィクトールも、大きな心の支えだった。誰も失いたくなかった。だが、信じていた組織にヴィクトールを裏切れと命じられ、母と妹を危険に晒してしまった。
 「こんな組織に入った俺が馬鹿だったんだ。誰も死なせねえ。ファティマもひっくるめて四人とも助ける。どうすればいい?考えろエンリーケ。四人とも助けるんだ。俺がうまく立ち回れば、誰も失わずに済むんだ。失いたくねえ。失うぐらいなら俺は死んでやる」
 エンリーケは組織の人間に命じられてヴィクトールたちの居所を探した。そして、運転席の窓が割れたままの見慣れたワゴン車を確認し、組織の人間を呼び寄せた。明日、二人を見つけたら民間人のいない空き地で作戦決行だ。

 土地勘のない新しい土地で、ヴィクトールとファティマは街の中を散策していた。念のためヴィクトールは腹部のポケットとウェストポーチに銃と予備の弾丸カートリッジを、ファティマはリュックの中に武器を忍ばせて、周囲を警戒しながら歩く。
 ――見つけた。エンリーケは威嚇射撃がてらヴィクトールの目の前に銃を一発撃った。ヴィクトールとファティマは警戒し、そばに転がっていたドラム缶や積み上げられた建材の陰に隠れた。戦闘開始だ。
 ファティマはリュックから防毒マスクとゴーグルを取り出して装着し、リュックから催涙スプレー、火炎放射スプレー、猛毒水鉄砲を取り出して装備した。ヴィクトールも腹部のポケットから銃を取り出して構える。
 「ファティマ。どこから撃ってくるかわかんねえ。目を凝らしてヒットマンを探して仕留めろ。俺もなるべく銃の射程範囲で仕留める」
 「任せて。武器はいっぱい持ってるから、なるべく敵を行動不能にしてくるわ」
 「行け!」
 ヴィクトールはファティマを信頼してファティマにミッションを与えた。彼女なら小柄ですばしこいので、隠密行動ができるだろうと確信しての判断である。
 ファティマはまず屋上から撃ってくるヒットマンを見つけると、仕留めるためにビルの階段を駆け上がった。そしてヒットマンの後姿を確認すると、瓶の中で一液と二液を反応させて毒ガスを発生し、屋上の隅に仕掛けて屋上のドアに閂をかけてヒットマンを締め出した。ヒットマンは施錠される音に気付いてドアを破ろうとしたが、毒ガスを吸い込んで中毒症状を起こし、そのまま息絶えた。
 次に暗殺者の姿を見つけたファティマはわざと彼の目の前に飛び出し、逃げ出した。追いかけてくるのを確認すると、逃げながら地面に白色ワセリンをたっぷり仕掛け、追手を転倒させることに成功する。起き上がらないうちに近寄って、猛毒水鉄砲を顔面に放射して一丁上がりだ。
 ファティマは持てる薬剤《ぶき》を総動員して暗殺者たちを仕留めていった。

 一方ヴィクトールは戦場の中心で戦闘中である。場所を移しながらエンリーケを狙っていたが、彼はふと違和感に気付いた。
 エンリーケが、必ず弾を外すのである。
 「あいつ、殺す気がないのか?仲間がいる手前、殺す真似をして時間を稼いでいる……?」
 ヴィクトールが数発急所を外して被弾した弾は、すべて暗殺者たちの撃った弾である。エンリーケの狙いはいつもわずかにずれていた。
 「エンリーケには後で訊きださなくちゃいけねーな。奴は後回しだ。雑魚を仕留めよう」
 「ヴィクター、俺から狙いを外したな。感づかれたか?だが、これでいい。上手く逃げ延びてくれよ」
 ヴィクトールの読み通り、エンリーケはわざと弾を外していた。射撃が下手で見込みがなければ暗殺者たちもエンリーケには関わらなくなるはずだ。上手く時間を稼いで、警察でも来てくれれば、とりあえずはこの局面を回避できる。ヴィクトールがほかの奴らを殺して数を減らしてくれるなら万々歳だ。
 だが、そんな心の内が読めないほど、ファビオも甘くなかった。物陰に隠れて戦闘を監視していたファビオは、やる気のないエンリーケの思惑に気付いていた。
 「あの野郎……殺る気ねえな。時間稼ぎのつもりか?おい、あの二人を連れてこい」
 ファビオは手下に命じて、ある人物を連れてこさせた。

 物陰に隠れながら撃ち合うヴィクトールのそばに、一人の車椅子の年老いた婦人が通りかかった。
 「あっ!なんでこんなところに!見せもんじゃねーぞバアちゃん!下がれ!」
 ヴィクトールの警告もわずかに遅く、夫人は利き腕に被弾した。
 「バアちゃん!」
 ヴィクトールは婦人の車椅子を押して物陰に隠れた。急いで救急車を呼ぶ。
 「なんでこんなあぶねえ所に出てきたんだバアちゃん?待ってろ、今救急車呼ぶからな」
 「ごめんなさい。何事かと思って来てしまったわ。迷惑かけてごめんなさいね。あなた優しいのね」
 救急車とともに警察のパトカーも戦闘区域にやってきたため、エンリーケたちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。警察官たちはもぬけの殻になった戦闘区域で、負傷した数人の暗殺者たちを捕まえることしかできなかった。

 戦闘地域から数百メートル郊外の方向に、廃工場跡があった。そこに合流したエンリーケを、ファビオは背中から思い切り蹴って転がした。
 「エンリーケ、手前殺る気ねえだろ」
 「いって……。何がだよ?」
 「わざと外して撃ってたな?」
 「は?知らねえ……」
 「やる気見せねえとどうなるか、教えたはずだよな?おい、連れてこい」
 ファビオは手下に命じて、二人の女性を連れてきた。それは。
 「母さん……!……エマか?!」
 「エンリーケ!」
 「お兄ちゃん!!」
 年老いてやつれた母と、すっかり大きく美しく育った妹。
 「どうするつもりか、解るよな?」
 ファビオは二人の女性に近づき、銃口をその米神に当てた。
 「やめろおおおおおおお!!!」

いいね!