ここで少し、スミレのことについてお話ししましょう。
スミレは丘の麓にある村、ヒノキ村の、隣のブナ村の領主の娘でした。スミレの父、パンズィー伯爵は、この村一つだけを領地として賜ったワダン家の当主で、この国では貧乏で立場の悪い貴族でした。
パンズィー伯爵は長男でスミレのお兄さんのアゼトゥナを大変重宝し、とても期待して育てていたので、アゼトゥナは剣の使い手で頭もいい立派な青年になりました。
スミレは幼い頃から兄のアゼトゥナと剣の稽古をし、勉強をし、一緒に遊んでいたので、兄が好きではありましたが、同時に大嫌いでもありました。
それは、スミレは女として、いずれ政略結婚の道具として嫁ぐ運命でしたので、女らしくしつけられ、兄と差を付けられて育てられたからです。
それがスミレは堪らなく嫌で仕方がありませんでした。
だから、スミレは反抗して男のように振る舞ったり、剣の稽古をして近隣では敵うものが居ないほど強くなるよう努力したり、やたらと喧嘩を売って暴れたりしていました。
男のように振る舞えば、兄と同じように愛されると信じていたのです。
しかし、荒れれば荒れるほど、家族の目は冷たくなっていきました。
ですから、スミレは誰よりも強くなりたくて、いつか家を出て、剣士になりたいと夢を見ていました。
そんなときに耳に入ったのが魔王退治の知らせでした。スミレにとってはまたとないチャンスです。絶対に魔王を倒して、家を出て剣士になる夢を叶える為に、家族を説得しようと思いました。
そんな生い立ちでしたから、スミレは魔王のことが好きになっている自分が許せませんでした。
そして、ついには村長から違約金という脅しもかけられ、いよいよ、魔王に負けるわけにはいかなくなりました。
スミレは剣の稽古に集中し、本当に強くなるまで魔王の元に通うのをやめることにしました。
そして、三ヶ月が経ちました。
スミレが、これが最後の挑戦として意を決して魔王城にやってきた時、魔王は城よりもずっと手前の薔薇の生け垣の前で待っていました。無表情で腕を組み、真っ直ぐこちらを見つめています。
こんなに城から離れて待っていることは今まで無かったので、スミレは驚きました。ですが、ちょうどいいと思いました。最後の戦いにふさわしく思えました。
馬の背中から降り、背中から剣を引き抜き、魔王の目の前に剣を突きつけた時、魔王は口を開きました。
「私を殺したいか?」
それは、とても冷たく、とても寂しそうな響きを含んでいました。
「……当たり前だ。今日こそは貴様を倒す。今日はその為に来たのだ」
すると魔王は剣を掴み、自分の喉元にあてがいました。
「なら、死のう」
「何?」
「私は抵抗するのをやめる。そうすればすぐ死ねる。やるがよい」
これにスミレは憤慨しました。命を賭して魔王に真剣勝負を挑んできた彼女にとって、今までのどんな侮辱よりも耐え難い侮辱に思えました。
スミレは彼の手から剣を引き離し、空いた左手でその頬をぴしゃりと叩きました。
「ふざけるな!そんなに簡単に死なれたら許さんぞ!わたしは今まで何の為に努力してきたというのだ!」
すると、魔王の目からひとしずくの涙がこぼれました。
魔王はくぐもった声で
「じゃあなぜ私に挑むのだ?」
と訊きました。彼が瞬きをするたびに、目から涙がぽたり、ぽたりとこぼれました。
スミレは動揺しました。
「な、なぜ泣く?わたしは戦士として貴様に挑むのだ。貴様は魔王なんだから、わたしが挑むのは……そうだ、世の摂理なのだ!」
魔王はため息をつきました。
「そうか……私が魔王だからいけないのか。ならば、魔王をやめよう。そうすれば、戦わずに済むな」
スミレは力無く剣を背中に収め、魔王の瞳を覗き込みました。
「貴様……戦いたくないのか…?」
その瞬間。
魔王の腕が素早くスミレの肩を掻き抱き、唇と唇が重なりました。
しばしの沈黙。
長い、長い沈黙。
唇が離れると、魔王はスミレの手を引き、城の中へ連れ去りました。
魔王は城の一室にスミレを連れてきて、魔法で部屋に閉じ込めました。その部屋には大きなベッドがありました。スミレは頭がぼうっとしていたので、最初は魔王が何をしようとしているのか考えもしませんでしたが、魔王が魔法を使って部屋を封印したのを見てハッとしました。先程の口づけには魔法がかけられていて、スミレは操られていたのです。
急に身の危険を感じました。
ドアに体当たりをして逃げようとしましたが、ドアはびくともしません。鍵は内側についているのに、鍵がどうしても開きません。
「貴様!何をする気だ!ここを開けろ!」
魔王は窓を背にしているので、逆光もあって表情がよく読めませんでした。
「私はお前を待っていたのだ。やっと久しぶりに来たのだ。今度は帰さない」
スミレはぞっとしました。
「貴様……何をするつもりだ……」
「無抵抗の私を殺さなかったことを後悔するが良い。私は気が変わった。お前をこの城に閉じ込めて二度と帰さないことにした」
「帰さないだと?」
魔王はベッドに座り、スミレを見据えています。
「私は、この数ヶ月、お前だけを待っていた。来る日も来る日も、お前を待ち続けた。しかし気の狂った野郎共ばかり殺到して、お前は全然現れなかった。なぜだ?」
「それは……」
「私は、お前だけを待っていた!なぜ来なかったんだ!今までは間をあけずよく来ていたのに!なぜ来なかった!?」
いつもは余裕を持った話し方をする魔王が、珍しく怒りをあらわにしています。
スミレは初めて心の底から魔王が怖いと思いました。
「剣の稽古をしていたんだ……貴様に勝つ為に……」
「私と戦えばいいだろう」
「貴様に内緒で強くなるつもりだったんだ」
「私は……寂しかった……」
魔王はうなだれて、「寂しかったのだ……」と呟きました。
「それは……悪かったな……」
スミレは謝ることしかできませんでした。
すると、魔王は急に立ち上がり、やおら着ているものを脱ぎ始めました。
「な、何をしている!?」
魔王は答えません。そしてベッドに横になり、こちらに背を向けて寝始めました。
魔王はこちらに背を向けたまま、ぱちんと指を鳴らしました。すると、スミレの着ている鎧の留め金が次々はずれて、スミレは危うく裸になるところでした。
「ま、魔法か?!何をする!?」
すると魔王はもう一度指をぱちんと鳴らして、スミレの頭の上から絹の寝間着を降らせました。便利な魔法です。
「それに着替えてこっちにこい。背中を向けていてやるから気にするな」
一応デリカシーはあるようです。
「だから、貴様何を……!」
「一緒に寝る」
スミレは逃げられないとわかると、覚悟をしました。貞操が危なくなったら殺すことを。ですが、ふっと先ほどの涙を思い出したら、殺すに殺せなくなりました。
なるようにしかならない。
本当に嫌だったら魔王を殺す。殺せなかったら舌を噛む。もし嫌でなければ……。あらゆるパターンを、考えつく限り考えて、スミレは与えられた寝間着に着替えて、魔王の寝ているそばへ寄り、枕に頭をつけました。
「一緒に寝るだけで良いのか?」
スミレの胸は緊張と恐ろしさと恥ずかしさでドキドキと高鳴っていました。
しかし、魔王はぴくりとも動きません。しばらく待ってみても、魔王は動きません。
スミレは不思議に思い、魔王の顔を覗き込みました。
「……本当に『寝る』だけなのか?」
魔王は目をつぶってじっとしていました。その顔はよく見ると端正でとても美しいと思いました。
(こんな顔をしていたんだ……)
思わず見とれていると、急に魔王が素早く動き出し、こちらに寝返りを打ってスミレを抱きしめました。
「だっこ」
「……はあ?」
スミレは眉間に皺を寄せ、言っている意味がわかりませんでした。
「だっこしてくれ」
「……抱きしめろということか?」
「うん」
スミレはおそるおそる手を伸ばし、魔王の背中に手を回しました。
「寝るぞ」
そういうと、魔王は本当に寝息を立て始めました。
「……」
スミレはとても複雑な気持ちになりました。
スミレは丘の麓にある村、ヒノキ村の、隣のブナ村の領主の娘でした。スミレの父、パンズィー伯爵は、この村一つだけを領地として賜ったワダン家の当主で、この国では貧乏で立場の悪い貴族でした。
パンズィー伯爵は長男でスミレのお兄さんのアゼトゥナを大変重宝し、とても期待して育てていたので、アゼトゥナは剣の使い手で頭もいい立派な青年になりました。
スミレは幼い頃から兄のアゼトゥナと剣の稽古をし、勉強をし、一緒に遊んでいたので、兄が好きではありましたが、同時に大嫌いでもありました。
それは、スミレは女として、いずれ政略結婚の道具として嫁ぐ運命でしたので、女らしくしつけられ、兄と差を付けられて育てられたからです。
それがスミレは堪らなく嫌で仕方がありませんでした。
だから、スミレは反抗して男のように振る舞ったり、剣の稽古をして近隣では敵うものが居ないほど強くなるよう努力したり、やたらと喧嘩を売って暴れたりしていました。
男のように振る舞えば、兄と同じように愛されると信じていたのです。
しかし、荒れれば荒れるほど、家族の目は冷たくなっていきました。
ですから、スミレは誰よりも強くなりたくて、いつか家を出て、剣士になりたいと夢を見ていました。
そんなときに耳に入ったのが魔王退治の知らせでした。スミレにとってはまたとないチャンスです。絶対に魔王を倒して、家を出て剣士になる夢を叶える為に、家族を説得しようと思いました。
そんな生い立ちでしたから、スミレは魔王のことが好きになっている自分が許せませんでした。
そして、ついには村長から違約金という脅しもかけられ、いよいよ、魔王に負けるわけにはいかなくなりました。
スミレは剣の稽古に集中し、本当に強くなるまで魔王の元に通うのをやめることにしました。
そして、三ヶ月が経ちました。
スミレが、これが最後の挑戦として意を決して魔王城にやってきた時、魔王は城よりもずっと手前の薔薇の生け垣の前で待っていました。無表情で腕を組み、真っ直ぐこちらを見つめています。
こんなに城から離れて待っていることは今まで無かったので、スミレは驚きました。ですが、ちょうどいいと思いました。最後の戦いにふさわしく思えました。
馬の背中から降り、背中から剣を引き抜き、魔王の目の前に剣を突きつけた時、魔王は口を開きました。
「私を殺したいか?」
それは、とても冷たく、とても寂しそうな響きを含んでいました。
「……当たり前だ。今日こそは貴様を倒す。今日はその為に来たのだ」
すると魔王は剣を掴み、自分の喉元にあてがいました。
「なら、死のう」
「何?」
「私は抵抗するのをやめる。そうすればすぐ死ねる。やるがよい」
これにスミレは憤慨しました。命を賭して魔王に真剣勝負を挑んできた彼女にとって、今までのどんな侮辱よりも耐え難い侮辱に思えました。
スミレは彼の手から剣を引き離し、空いた左手でその頬をぴしゃりと叩きました。
「ふざけるな!そんなに簡単に死なれたら許さんぞ!わたしは今まで何の為に努力してきたというのだ!」
すると、魔王の目からひとしずくの涙がこぼれました。
魔王はくぐもった声で
「じゃあなぜ私に挑むのだ?」
と訊きました。彼が瞬きをするたびに、目から涙がぽたり、ぽたりとこぼれました。
スミレは動揺しました。
「な、なぜ泣く?わたしは戦士として貴様に挑むのだ。貴様は魔王なんだから、わたしが挑むのは……そうだ、世の摂理なのだ!」
魔王はため息をつきました。
「そうか……私が魔王だからいけないのか。ならば、魔王をやめよう。そうすれば、戦わずに済むな」
スミレは力無く剣を背中に収め、魔王の瞳を覗き込みました。
「貴様……戦いたくないのか…?」
その瞬間。
魔王の腕が素早くスミレの肩を掻き抱き、唇と唇が重なりました。
しばしの沈黙。
長い、長い沈黙。
唇が離れると、魔王はスミレの手を引き、城の中へ連れ去りました。
魔王は城の一室にスミレを連れてきて、魔法で部屋に閉じ込めました。その部屋には大きなベッドがありました。スミレは頭がぼうっとしていたので、最初は魔王が何をしようとしているのか考えもしませんでしたが、魔王が魔法を使って部屋を封印したのを見てハッとしました。先程の口づけには魔法がかけられていて、スミレは操られていたのです。
急に身の危険を感じました。
ドアに体当たりをして逃げようとしましたが、ドアはびくともしません。鍵は内側についているのに、鍵がどうしても開きません。
「貴様!何をする気だ!ここを開けろ!」
魔王は窓を背にしているので、逆光もあって表情がよく読めませんでした。
「私はお前を待っていたのだ。やっと久しぶりに来たのだ。今度は帰さない」
スミレはぞっとしました。
「貴様……何をするつもりだ……」
「無抵抗の私を殺さなかったことを後悔するが良い。私は気が変わった。お前をこの城に閉じ込めて二度と帰さないことにした」
「帰さないだと?」
魔王はベッドに座り、スミレを見据えています。
「私は、この数ヶ月、お前だけを待っていた。来る日も来る日も、お前を待ち続けた。しかし気の狂った野郎共ばかり殺到して、お前は全然現れなかった。なぜだ?」
「それは……」
「私は、お前だけを待っていた!なぜ来なかったんだ!今までは間をあけずよく来ていたのに!なぜ来なかった!?」
いつもは余裕を持った話し方をする魔王が、珍しく怒りをあらわにしています。
スミレは初めて心の底から魔王が怖いと思いました。
「剣の稽古をしていたんだ……貴様に勝つ為に……」
「私と戦えばいいだろう」
「貴様に内緒で強くなるつもりだったんだ」
「私は……寂しかった……」
魔王はうなだれて、「寂しかったのだ……」と呟きました。
「それは……悪かったな……」
スミレは謝ることしかできませんでした。
すると、魔王は急に立ち上がり、やおら着ているものを脱ぎ始めました。
「な、何をしている!?」
魔王は答えません。そしてベッドに横になり、こちらに背を向けて寝始めました。
魔王はこちらに背を向けたまま、ぱちんと指を鳴らしました。すると、スミレの着ている鎧の留め金が次々はずれて、スミレは危うく裸になるところでした。
「ま、魔法か?!何をする!?」
すると魔王はもう一度指をぱちんと鳴らして、スミレの頭の上から絹の寝間着を降らせました。便利な魔法です。
「それに着替えてこっちにこい。背中を向けていてやるから気にするな」
一応デリカシーはあるようです。
「だから、貴様何を……!」
「一緒に寝る」
スミレは逃げられないとわかると、覚悟をしました。貞操が危なくなったら殺すことを。ですが、ふっと先ほどの涙を思い出したら、殺すに殺せなくなりました。
なるようにしかならない。
本当に嫌だったら魔王を殺す。殺せなかったら舌を噛む。もし嫌でなければ……。あらゆるパターンを、考えつく限り考えて、スミレは与えられた寝間着に着替えて、魔王の寝ているそばへ寄り、枕に頭をつけました。
「一緒に寝るだけで良いのか?」
スミレの胸は緊張と恐ろしさと恥ずかしさでドキドキと高鳴っていました。
しかし、魔王はぴくりとも動きません。しばらく待ってみても、魔王は動きません。
スミレは不思議に思い、魔王の顔を覗き込みました。
「……本当に『寝る』だけなのか?」
魔王は目をつぶってじっとしていました。その顔はよく見ると端正でとても美しいと思いました。
(こんな顔をしていたんだ……)
思わず見とれていると、急に魔王が素早く動き出し、こちらに寝返りを打ってスミレを抱きしめました。
「だっこ」
「……はあ?」
スミレは眉間に皺を寄せ、言っている意味がわかりませんでした。
「だっこしてくれ」
「……抱きしめろということか?」
「うん」
スミレはおそるおそる手を伸ばし、魔王の背中に手を回しました。
「寝るぞ」
そういうと、魔王は本当に寝息を立て始めました。
「……」
スミレはとても複雑な気持ちになりました。