ある夏の日のことです。スミレは城の一室のソファに体をあずけ、ぐったりしていました。そのみっともない姿に、同じ部屋にいた魔王は目を覆って諌めました。
「スミレ……お前の女らしさなんて今更求めんが、そのだらけた姿はなんとかならんか。みっともない。仮にもお前は私の妃なんだぞ?」
ソファの背もたれに頭をあずけ、口をだらしなくぽかんと開けて天井を見ていたスミレは、ゆっくりと顔を起こしました。
「そんなこと言われてもな……ここ数日気持ち悪くて死にそうなんだ。ほとんど何も食ってない」
「お前は最近それしか言わないな。お前の為に料理も変えてやったのだが、それでも駄目か?」
数日前、スミレが不調を訴えたので、城の料理人たちはスミレの為に魔界の食材を使うのをやめ、村でとれた新鮮な食材を使うようにしました。それでもスミレの不調は治らなかったので、料理人たちは困り果て、スミレに少しでも食べてもらおうとあの手この手を使ったのですが、スミレはこの有様なのです。結局スミレはここ数日キャベツしか食べていませんでした。
「わたしは胃腸の病気にかかったのだ。もうすぐ死ぬかもしれん」
スミレが死ぬ。それを聞いて魔王は慌てました。
「スミレ?!死んでしまうのか?!」
「このままだと確実に死ぬな。餓死だ」
大切なスミレが死んでしまうかもしれない。魔王は青くなって魔界への扉を開きました。
「待っていろスミレ!お前を死なせはしない!魔界からいい奴を連れてきてやる!死ぬなよ?!待ってろよ?!いいな?!」
魔王は指を指して念を押し、魔界への扉をくぐりました。
「医者に診せても何の異常もなかったんだ。魔族に何ができるんだ……」
スミレはまたぐったりと頭を背もたれにあずけました。この姿勢をしていると、吐き気が少しまぎれる気がするのです。
魔王とスミレが出会った村人の失踪事件。あの事件が解決してから二年ばかりの間に、実に沢山の出来事がありました。
第一に城は村役場になり、今では村の人間たちが城で魔族たちと一緒に働いています。
第二に、魔王とスミレは結婚をし、スミレは正式に魔王の妃になりました。
第三に、村はセコイア王国から半分独立し、メタセコイア自治区として魔王の土地として認められました。この件については後に詳しくお話ししましょう。
他にも様々、色んな出来事があり、魔王たちは忙しい毎日を送っていました。
魔王とスミレは出会った頃に比べたらずっと穏やかになりましたが、相変わらず仲が良すぎてしょっちゅう喧嘩ばかりしていました。そして喧嘩したことを後悔する度にまた一段と仲が良くなるのです。
こののどかな幸せが、ずっと続くかに思えました。誰もが皆、そんな幸せを望んでいました。
魔界へ飛び出した魔王は、二~三時間もすると城に戻ってきました。その後ろに見慣れぬ一人の老婆を引き連れて。
「紹介しよう。我が妃のスミレだ。貴様は初めて見るだろう」
「おお、顔は知っておったが、お会いするのは初めてじゃ」
老婆はまるで魔法使いのお婆さんのような真っ黒いローブに身を包み、目深に被ったフードの奥かららんらんとした鋭い眼光を光らせた気味の悪い人物でした。
ですが、一応来客です。だらけた姿をしていたスミレは姿勢を正し、老婆に一礼しました。
「スミレ、こいつは千里眼の婆として魔界では有名な婆さんだ。こいつにかかればスミレの病気がなんなのかすぐに視てくれよう」
千里眼の婆と呼ばれた老婆は深々をスミレに礼をしました。
「お初にお目にかかります。千里眼の婆ことカトレアでございます。お妃様にはご機嫌麗しゅう……」
長々とした礼が始まりそうだったので、スミレはいいところでカトレアを止めました。
「ああ、いいよいいよ、わたしはそんな高貴な出じゃないから、気にしなくていい。わたしはスミレだ。あなたはわたしの病気を診にきてくれたのだな?それは遠路遥々ご苦労だった」
そう言って、スミレはカトレアにソファに座るよう勧めました。本当は具合が悪くて堪らないので、ソファに座って楽になりたかったのです。
「もう魔王から聞いたかもしれないが、わたしは最近調子が悪くてな、すまないが、もう、座ることにしよう。立っているのが辛いんだ」
そのとき、カトレアの目が急にカッと見開かれました。スミレは少しだけびっくりしました。
「ど、どうかなさったか?」
「……ふむ……いや……まあ、その話はあとじゃ」
カトレアは言葉を濁すと、ニヤニヤと笑みを浮かべました。スミレは気持ち悪いと思いましたが、魔族だから仕方ないと、我慢しました。
カトレアは勧められた椅子に腰掛け、魔王はスミレのソファに一緒に座りました。侍女がすかさず魔王たちに茶を出しました。魔王は茶を一口啜ると、話を切り出しました。
「で、だ。スミレはどんな病にかかっているのか、視てはくれまいか。スミレは死ぬかもしれんとまで言っているんだ。まさか死ぬようなことはあるまいな?」
すると、カトレアはカッカッカと高笑いをあげました。
「まあ、そうじゃのう、下手をしたら死ぬじゃろう」
魔王もスミレも侍女も、カトレアがとんでもないことを言うのでびっくりしました。
「わ、笑い事ではない!それは一体どんな病気なんだ?!」
魔王が今にも掴み掛からんばかりに怒鳴ると、カトレアはなおも高笑いをあげ、
「おめでたじゃよ」
と告げました。
スミレと侍女は絶句しました。魔王は言葉の意味が読めず、
「スミレが死ぬかもしれないというのに、めでたいだと?!」
と激昂しました。スミレは魔王の袖を引っ張り、首を振りました。
「違う、違う。めでたいんじゃなくて……おめでただ。つまり、わたしは……」
そこから先は恥ずかしくなって、スミレは黙りました。カトレアが察して言葉を継ぎました。
「スミレ様はご懐妊なさってるんじゃよ。お腹に、おぼこがおるんじゃ」
魔王は驚きのあまり固まりました。スミレもそばに侍していた侍女も驚きのあまり言葉が出ません。
魔王もスミレも、人間と魔族の間に子供ができるとは思っていなかったので、子供の件については諦めていました。魔王は魔族。寿命が長いので、世継ぎはスミレの寿命が終わったあとにでも後妻を貰ってできればいいと、二人はお互いに確認していました。ですから、まさかこんなに早く子供ができるとは夢にも思いませんでしたし、スミレの身体のほうも、一~二ヶ月、月の知らせが来なかったことを少しも不思議に思っていませんでした。ですから、今になって初めて自分の身体の変化に思い当たることが沢山思い起こされて、スミレは成る程と両手を打ちました。
「なるほどな……合点がいった。そうか……よかった。未だあまり実感がないが、よかった……な、魔王?」
思わず口がほころぶのを抑えられないスミレは、恥ずかしそうに魔王を見やりました。魔王は未だ固まっています。固まっていますが、目線だけは下を向いているようです。何か考えているのでしょうか?
「おい、魔王。喜べよ。諦めていた世継ぎだぞ?……嬉しくないか?」
スミレが肘で小突くと、漸く魔王の時が動き出しました。
「う?うん……そうか……私は、父親になるのか……悪くないな……」
魔王は徐々にニヤニヤし始め、嬉しさを噛み締めているようでした。
スミレは初めての悪阻というものに自信がなく、カトレアに色々と質問しました。
「なあ、カトレア。わたしは全く食欲がなくて、このままでは餓死しそうなんだ。どうにかならないか?」
カトレアはカッカッカと笑い、
「それはおそらく、食べないから気分が悪いのじゃよ。何でもええ、食べられそうなものを片っ端から食べてみよ。スミレ様は食べたほうがええ」
と、意外なアドバイスをしました。
「え?だって……本当に何も食べられないんだが……」
「葡萄でもトマトでも、何でも食べたほうがええ。聞いたことはないかな?酸っぱいものが食べたくなるものじゃ。今まで苦手だったものでも食べ始められたらええ」
スミレは今になって、母親や友人たちの出産経験の話を避けてきたことを後悔しました。初めて聞くことだらけで、戸惑いました。
「そうか……ならば、これから調理場にいって色々試してみよう。いや、貴重な話をありがとう、カトレア」
「子を持つ母親などいくらでもおるじゃろう。妊娠出産は十人十色。色々話を聞いてみられることじゃ。きっと上手くいくはずじゃよ。どんなお辛いことがあってものう……」
カトレアには、何か未来が視えているようでした。ですが、そんな含みのある言葉も、今の喜びに満ちた魔王たちには届きませんでした。
「お、男か、女か、判らぬか?!」
「それは秘密にしときますじゃ」
「つれないな、カトレア。重要なことだろう?」
カトレアは立ち上がり、
「スミレ様の母体のケアをする者を雇われるといいじゃろう。きっと力になるはずじゃ」
そう言うと、「儂はそろそろ失礼しますじゃ」と、魔界に帰っていきました。
魔王は早速魔界と人間界の村から二人の女性を招きました。
魔族代表で招集されたのはサフィニア。魔族の赤子はお腹にいる時から魔力を操るので、それを抑える為に配属されました。
人間代表で招集されたのはガーベラ。スミレの人間としての身体の変調をケアする為に配属されました。
ですが、二人とも子を持つ母親です。もう子供は大きくなっていましたが、夜には自宅に帰ってしまいます。そのため、スミレに対しては昼間のうちに一人前の母親にする為に少々手厳しい指導がありました。
スミレはあれから色々な食べ物を試してみました。どうしても受け付けず戻してしまうこともありましたが、いわゆる食べ悪阻というもので、カトレアの言った通り、食べていないと気持ちが悪くなるようです。スミレは暇さえあれば食料を漁り、野菜や果物をパクパクと口に運んでいました。すかさずガーベラが注意しました。
「スミレ様、食べ過ぎはいけません。具合が悪くてもちゃんと決まった時間にお食事をなさって下さい。それでは食べ過ぎです」
果物が載った皿を取り上げられ、スミレが抗議しました。
「そんなことを言われても、腹が減ると気持ち悪いんだ。せめて側に置いていてくれ!」
「駄目です。スミレ様は食べ過ぎです。そんなに食べるものではありません」
「あと一口!」
「お腹が減ったら差し上げましょう」
「ケチー!」
そこへ魔王がやってきました。
「スミレは見違えるように食べるようになったな。キャベツしか受け付けなかったのに。良いことだ」
「な?!ほら、いいことだろう?」
スミレが渡りに船とばかりに魔王に駆け寄ると、ガーベラは
「結構すぎて困ります。城の食料が無くなりそうなので取り上げたところです」
と、非難の声を上げました。
「魔界の食料も受け付けるみたいだし……そんなに気にするほどでもないと思うがな」
「魔王様がそうやって甘やかすからいけないんです。スミレ様には立派な母親としての自覚を……」
すると、スミレの身体がびくりと跳ね、スミレは膝をついてうずくまってしまいました。
「どうしたスミレ?!」
するとサフィニアが駆け寄り、スミレの身体にまるで魔法陣を描くように指をすべらせました。
「今、魔力の暴走を鎮めました」
スミレは苦笑いの形に顔を歪ませ、
「ガーベラが怒るからお腹の子が怒りだしたんだ」
と、勝ち誇ったように舌を出しました。
『それでもスミレ様は食べ過ぎです!』
サフィニアとガーベラは口を揃えてスミレを叱りました。
「スミレ……お前の女らしさなんて今更求めんが、そのだらけた姿はなんとかならんか。みっともない。仮にもお前は私の妃なんだぞ?」
ソファの背もたれに頭をあずけ、口をだらしなくぽかんと開けて天井を見ていたスミレは、ゆっくりと顔を起こしました。
「そんなこと言われてもな……ここ数日気持ち悪くて死にそうなんだ。ほとんど何も食ってない」
「お前は最近それしか言わないな。お前の為に料理も変えてやったのだが、それでも駄目か?」
数日前、スミレが不調を訴えたので、城の料理人たちはスミレの為に魔界の食材を使うのをやめ、村でとれた新鮮な食材を使うようにしました。それでもスミレの不調は治らなかったので、料理人たちは困り果て、スミレに少しでも食べてもらおうとあの手この手を使ったのですが、スミレはこの有様なのです。結局スミレはここ数日キャベツしか食べていませんでした。
「わたしは胃腸の病気にかかったのだ。もうすぐ死ぬかもしれん」
スミレが死ぬ。それを聞いて魔王は慌てました。
「スミレ?!死んでしまうのか?!」
「このままだと確実に死ぬな。餓死だ」
大切なスミレが死んでしまうかもしれない。魔王は青くなって魔界への扉を開きました。
「待っていろスミレ!お前を死なせはしない!魔界からいい奴を連れてきてやる!死ぬなよ?!待ってろよ?!いいな?!」
魔王は指を指して念を押し、魔界への扉をくぐりました。
「医者に診せても何の異常もなかったんだ。魔族に何ができるんだ……」
スミレはまたぐったりと頭を背もたれにあずけました。この姿勢をしていると、吐き気が少しまぎれる気がするのです。
魔王とスミレが出会った村人の失踪事件。あの事件が解決してから二年ばかりの間に、実に沢山の出来事がありました。
第一に城は村役場になり、今では村の人間たちが城で魔族たちと一緒に働いています。
第二に、魔王とスミレは結婚をし、スミレは正式に魔王の妃になりました。
第三に、村はセコイア王国から半分独立し、メタセコイア自治区として魔王の土地として認められました。この件については後に詳しくお話ししましょう。
他にも様々、色んな出来事があり、魔王たちは忙しい毎日を送っていました。
魔王とスミレは出会った頃に比べたらずっと穏やかになりましたが、相変わらず仲が良すぎてしょっちゅう喧嘩ばかりしていました。そして喧嘩したことを後悔する度にまた一段と仲が良くなるのです。
こののどかな幸せが、ずっと続くかに思えました。誰もが皆、そんな幸せを望んでいました。
魔界へ飛び出した魔王は、二~三時間もすると城に戻ってきました。その後ろに見慣れぬ一人の老婆を引き連れて。
「紹介しよう。我が妃のスミレだ。貴様は初めて見るだろう」
「おお、顔は知っておったが、お会いするのは初めてじゃ」
老婆はまるで魔法使いのお婆さんのような真っ黒いローブに身を包み、目深に被ったフードの奥かららんらんとした鋭い眼光を光らせた気味の悪い人物でした。
ですが、一応来客です。だらけた姿をしていたスミレは姿勢を正し、老婆に一礼しました。
「スミレ、こいつは千里眼の婆として魔界では有名な婆さんだ。こいつにかかればスミレの病気がなんなのかすぐに視てくれよう」
千里眼の婆と呼ばれた老婆は深々をスミレに礼をしました。
「お初にお目にかかります。千里眼の婆ことカトレアでございます。お妃様にはご機嫌麗しゅう……」
長々とした礼が始まりそうだったので、スミレはいいところでカトレアを止めました。
「ああ、いいよいいよ、わたしはそんな高貴な出じゃないから、気にしなくていい。わたしはスミレだ。あなたはわたしの病気を診にきてくれたのだな?それは遠路遥々ご苦労だった」
そう言って、スミレはカトレアにソファに座るよう勧めました。本当は具合が悪くて堪らないので、ソファに座って楽になりたかったのです。
「もう魔王から聞いたかもしれないが、わたしは最近調子が悪くてな、すまないが、もう、座ることにしよう。立っているのが辛いんだ」
そのとき、カトレアの目が急にカッと見開かれました。スミレは少しだけびっくりしました。
「ど、どうかなさったか?」
「……ふむ……いや……まあ、その話はあとじゃ」
カトレアは言葉を濁すと、ニヤニヤと笑みを浮かべました。スミレは気持ち悪いと思いましたが、魔族だから仕方ないと、我慢しました。
カトレアは勧められた椅子に腰掛け、魔王はスミレのソファに一緒に座りました。侍女がすかさず魔王たちに茶を出しました。魔王は茶を一口啜ると、話を切り出しました。
「で、だ。スミレはどんな病にかかっているのか、視てはくれまいか。スミレは死ぬかもしれんとまで言っているんだ。まさか死ぬようなことはあるまいな?」
すると、カトレアはカッカッカと高笑いをあげました。
「まあ、そうじゃのう、下手をしたら死ぬじゃろう」
魔王もスミレも侍女も、カトレアがとんでもないことを言うのでびっくりしました。
「わ、笑い事ではない!それは一体どんな病気なんだ?!」
魔王が今にも掴み掛からんばかりに怒鳴ると、カトレアはなおも高笑いをあげ、
「おめでたじゃよ」
と告げました。
スミレと侍女は絶句しました。魔王は言葉の意味が読めず、
「スミレが死ぬかもしれないというのに、めでたいだと?!」
と激昂しました。スミレは魔王の袖を引っ張り、首を振りました。
「違う、違う。めでたいんじゃなくて……おめでただ。つまり、わたしは……」
そこから先は恥ずかしくなって、スミレは黙りました。カトレアが察して言葉を継ぎました。
「スミレ様はご懐妊なさってるんじゃよ。お腹に、おぼこがおるんじゃ」
魔王は驚きのあまり固まりました。スミレもそばに侍していた侍女も驚きのあまり言葉が出ません。
魔王もスミレも、人間と魔族の間に子供ができるとは思っていなかったので、子供の件については諦めていました。魔王は魔族。寿命が長いので、世継ぎはスミレの寿命が終わったあとにでも後妻を貰ってできればいいと、二人はお互いに確認していました。ですから、まさかこんなに早く子供ができるとは夢にも思いませんでしたし、スミレの身体のほうも、一~二ヶ月、月の知らせが来なかったことを少しも不思議に思っていませんでした。ですから、今になって初めて自分の身体の変化に思い当たることが沢山思い起こされて、スミレは成る程と両手を打ちました。
「なるほどな……合点がいった。そうか……よかった。未だあまり実感がないが、よかった……な、魔王?」
思わず口がほころぶのを抑えられないスミレは、恥ずかしそうに魔王を見やりました。魔王は未だ固まっています。固まっていますが、目線だけは下を向いているようです。何か考えているのでしょうか?
「おい、魔王。喜べよ。諦めていた世継ぎだぞ?……嬉しくないか?」
スミレが肘で小突くと、漸く魔王の時が動き出しました。
「う?うん……そうか……私は、父親になるのか……悪くないな……」
魔王は徐々にニヤニヤし始め、嬉しさを噛み締めているようでした。
スミレは初めての悪阻というものに自信がなく、カトレアに色々と質問しました。
「なあ、カトレア。わたしは全く食欲がなくて、このままでは餓死しそうなんだ。どうにかならないか?」
カトレアはカッカッカと笑い、
「それはおそらく、食べないから気分が悪いのじゃよ。何でもええ、食べられそうなものを片っ端から食べてみよ。スミレ様は食べたほうがええ」
と、意外なアドバイスをしました。
「え?だって……本当に何も食べられないんだが……」
「葡萄でもトマトでも、何でも食べたほうがええ。聞いたことはないかな?酸っぱいものが食べたくなるものじゃ。今まで苦手だったものでも食べ始められたらええ」
スミレは今になって、母親や友人たちの出産経験の話を避けてきたことを後悔しました。初めて聞くことだらけで、戸惑いました。
「そうか……ならば、これから調理場にいって色々試してみよう。いや、貴重な話をありがとう、カトレア」
「子を持つ母親などいくらでもおるじゃろう。妊娠出産は十人十色。色々話を聞いてみられることじゃ。きっと上手くいくはずじゃよ。どんなお辛いことがあってものう……」
カトレアには、何か未来が視えているようでした。ですが、そんな含みのある言葉も、今の喜びに満ちた魔王たちには届きませんでした。
「お、男か、女か、判らぬか?!」
「それは秘密にしときますじゃ」
「つれないな、カトレア。重要なことだろう?」
カトレアは立ち上がり、
「スミレ様の母体のケアをする者を雇われるといいじゃろう。きっと力になるはずじゃ」
そう言うと、「儂はそろそろ失礼しますじゃ」と、魔界に帰っていきました。
魔王は早速魔界と人間界の村から二人の女性を招きました。
魔族代表で招集されたのはサフィニア。魔族の赤子はお腹にいる時から魔力を操るので、それを抑える為に配属されました。
人間代表で招集されたのはガーベラ。スミレの人間としての身体の変調をケアする為に配属されました。
ですが、二人とも子を持つ母親です。もう子供は大きくなっていましたが、夜には自宅に帰ってしまいます。そのため、スミレに対しては昼間のうちに一人前の母親にする為に少々手厳しい指導がありました。
スミレはあれから色々な食べ物を試してみました。どうしても受け付けず戻してしまうこともありましたが、いわゆる食べ悪阻というもので、カトレアの言った通り、食べていないと気持ちが悪くなるようです。スミレは暇さえあれば食料を漁り、野菜や果物をパクパクと口に運んでいました。すかさずガーベラが注意しました。
「スミレ様、食べ過ぎはいけません。具合が悪くてもちゃんと決まった時間にお食事をなさって下さい。それでは食べ過ぎです」
果物が載った皿を取り上げられ、スミレが抗議しました。
「そんなことを言われても、腹が減ると気持ち悪いんだ。せめて側に置いていてくれ!」
「駄目です。スミレ様は食べ過ぎです。そんなに食べるものではありません」
「あと一口!」
「お腹が減ったら差し上げましょう」
「ケチー!」
そこへ魔王がやってきました。
「スミレは見違えるように食べるようになったな。キャベツしか受け付けなかったのに。良いことだ」
「な?!ほら、いいことだろう?」
スミレが渡りに船とばかりに魔王に駆け寄ると、ガーベラは
「結構すぎて困ります。城の食料が無くなりそうなので取り上げたところです」
と、非難の声を上げました。
「魔界の食料も受け付けるみたいだし……そんなに気にするほどでもないと思うがな」
「魔王様がそうやって甘やかすからいけないんです。スミレ様には立派な母親としての自覚を……」
すると、スミレの身体がびくりと跳ね、スミレは膝をついてうずくまってしまいました。
「どうしたスミレ?!」
するとサフィニアが駆け寄り、スミレの身体にまるで魔法陣を描くように指をすべらせました。
「今、魔力の暴走を鎮めました」
スミレは苦笑いの形に顔を歪ませ、
「ガーベラが怒るからお腹の子が怒りだしたんだ」
と、勝ち誇ったように舌を出しました。
『それでもスミレ様は食べ過ぎです!』
サフィニアとガーベラは口を揃えてスミレを叱りました。