第七幕



2024-12-12 07:06:23
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 引籠って出てこない魔王に代わって、ヒノキ城で指揮を執っているジギタリスが、戦闘が収束しているローレルの町からレンギョウやライラックたち主力の戦士たちをヒノキ城に招集しました。
 ヒノキ城周辺で発生している戦闘の戦力に加えようというのです。
 スターチス将軍も周辺に散って小競り合いをしていた兵団をヒノキ城に集結させ、ヒノキ城周辺地域の戦闘は激化しました。
 久しぶりにヒノキ城にやってきたレンギョウとライラックは、スミレが誘拐され、魔王がショックで引籠っていることを聞くと、怒りをあらわにしました。
「あの野郎。引籠ってる場合じゃねえだろ!俺たちに戦争を押し付けといてよお!」
 特にライラックは雷に打たれたような衝撃を受け、しばらく棒立ちで事実をぶつぶつ反芻すると、魔王に対する怒りが沸々とこみあげてきました。
「魔王め!!だから、あれほど、俺がスミレを守ると言ったじゃないかあ!!!」
 ライラックの怒りは怒髪天を突きました。実は、ライラックはスミレを心の底では諦めきれていませんでした。
 何度もスミレを諦めようといろんな女性に声をかけ、それなりに恋愛を楽しんできましたが、心のどこかでいつもスミレの面影を探しては、虚しい気持ちを燻らせていました。だから、スミレの命が脅かされたと聞いた時、居ても立ってもいられず、どんなにスミレに拒まれようと、彼女を守りたいと強く思ったのです。
 しかし、故郷の守護と天秤に掛けられて、みっともなく実らない恋にしがみつくよりは、一人の男子として故郷を守ろうと、後ろ髪を引かれながら故郷に戻ったのに。
 恋敵が必ず彼女を守ると約束した。だから、彼に任せようと、彼を信じようとしたのに。だのに。
「サルビアはどこに引きこもってんだ?どれ、俺がどついてやる」
「魔王はどこにいる?!殴ってやらんと気が済まん!!」
 レンギョウの倍以上の剣幕で怒鳴るライラック。二人があんまり騒ぐので、ジギタリスはサイプレス城とヒノキ城を繋ぐ時空の扉に、二人を連れてきました。
 二人がサイプレス城に着き、魔王の寝室のドアを蹴破ると、魔王は玉のような汗をびっしょりかいて、熱に浮かされていました。
「寝てる場合かあ!!」
 ライラックが叩き起こそうとすると、侍女が慌てて止めに入りました。
「おやめください。魔王様は数日前から熱が下がらず、伏せっておられます」
 ライラックは構わず魔王の胸ぐらを掴み上げ、「貴様のせいでスミレは!!」と怒鳴りました。
 魔王は気が付き、薄く目を開け、「ライラックか……」と弱々しい声で呼びました。
「人に面倒押し付けて自分は引きこもりかよ、いい身分だな」
 レンギョウが魔王の顔を覗き込むと、あることに気が付きました。
「あれ?お前角が伸びてねえ?」
 侍女は何度も「おやめください」といいながら、ライラックの手から魔王を引き離そうとしました。
「魔王様は覚醒の期間に入られています。熱が下がるまで絶対安静なんです!」
 肝心の魔王が戦闘不能と判明したとき、間の悪いことにスターチス将軍の魔術師軍団が、ヒノキ城の結界を破ってしまいました。
 夥しい兵が城壁をよじ登り、ヒノキ城になだれ込んできました。
 ジギタリスは時空の扉からサイプレス城の兵力を招集し、応戦しました。

 一方そのころ、マロニエ城のスミレはというと、体調も落ち着いた頃から、ヘンルーダの寝所に招かれることになりました。
「嫌だ!誰が貴様のような下衆と寝るか!」
 最初は抵抗したスミレでしたが、赤子を人質に取られ、虐待を加えられたのを見て、抵抗することは賢くないと悟りました。
 屈辱と苦痛に、スミレの心は闇に落ち、いつ寝首を掻こうかと狙う日々を過ごしました。
 地獄のような日々の中で、生まれてきてくれた赤子だけが、彼女の心の支えでした。
 スミレは絶対に我が子を誰かに任せるようなことはしませんでした。
 授乳もおむつも、赤子の面倒の一切をすべて自分でやりました。
 スミレは見る見るうちにやつれてゆきました。

 今夜も、スミレはヘンルーダの寝所に招かれました。
「何をしている。早くこっちに来い」
 ベッドに寝そべるヘンルーダが、スミレを急かします。
 スミレは赤子を籠の中に寝かせました。
 すると、赤子はこれから母に課せられる仕事を察したのでしょうか、火がついたように泣き叫び始めました。
 慌てて赤子を抱きかかえ、あやすスミレ。
「ええい!クソやかましいガキだ!おい!誰か!そのガキを下がらせろ!」
 ドアの前で侍していた侍女達が部屋に入ってきて、スミレから赤子を取り上げました。赤子はなおも甲高く泣き叫びます。
「あっ……!」
 慌てて追いすがるスミレでしたが、彼女の目の前で無惨にドアは閉められました。
「俺の寝室に二度と赤子を連れてくるな。やかましくてかなわん。さあ、伽の相手をしろ」
 俯いたまま、スミレは髪の奥からヘンルーダを睨みつけました。真っ直ぐ睨めばまた殴られ、酷いことを強要される。だから、彼女は彼にばれないように睨む術を覚えました。
 一睨みで、相手に呪いをかけることが出来たらよかったのに。一睨みで、ゴルゴンのように……。
 スミレは心を殺し、支配者の寝床へ足を向けました。

 一仕事を終え、ヘンルーダの寝所から出てきたスミレが侍女の手から赤子を取り返すと、侍女はスミレに同情しながらも、彼女を諭しました。
「スミレ様、愛の無いお勤めのご苦労は分かります。ですが、女は、諦めて生きるものですよ。そのうちあなたも、この生活に慣れてゆきます」
 スミレは力無く苦笑しました。
「哀しい哲学だな。諦めの悪い私は、子供だと思うか?」

 ある日の昼下がり、いつものようにスミレが赤子をあやしながら庭を散歩していると、黒い人影が近づいてきました。
「いつもお子様を離しませんね」
「?!貴様は!!」
 スミレはその姿を認めると、子を庇いながら身構えました。それは、あの夜スミレを誘拐した三人の斥候のうちの一人でした。顔を覆い尽くすような仮面をつけ、頭から爪先まで黒い布に覆われた忍びの者。しかし彼は、「ま、待ってください。俺は何もする気はありません!」と、両手を振りました。
「今日は、貴女と少し話をしたくて」
 男は言いました。
「貴様と話すことなどないぞ」
 スミレは警戒心を解きません。仕方なく男は観念して正直に話しました。
「あの時も、俺はあなたを誘拐することを、正直ためらっていたし、俺は、貴女をどうこうするつもりはなかった。信じてください。信じられないかもしれませんが……。少し、話をしませんか」
 スミレは疑り深く睨みましたが、表情が読めないので、その気弱そうな話し方から察して、少しだけ話に応じることにしました。
「俺は、正直貴女を誘拐したことを、後悔しているんです。貴女はここに来るべきではなかった。その子の可愛がりようから見て思ったのですが、貴女はあの魔王を、愛していたんですね?」
 スミレは少し間をおいて、目を合わせないで、「ああ」と頷きました。
「このわたしが好きでもない男と大人しく寝るものか。……愛しているよ、あいつを。わたしがあの腐れ×××と大人しく寝るのは、すべてこの子のため。それだけだ」
 この子の中に、あいつの血が流れているから。スミレはくすっと微笑み、うとうとする我が子を愛おしそうに見つめました。
 男は、その様子を見て、昔のことを思い出していました。あの時、あの人が生きていたら、きっとこんな顔で笑ったんだろう。そう思ったら、いくら詫びても詫びきれないと思いました。
「そう言えば、お前、名前は?」
 スミレの問いに、男は、
「申し遅れました。俺は、クレマチスといいます」
と、名乗りました。
「もしかしてお前、あの時私と戦おうとしなかった奴か?」
 スミレはやっと声と記憶が結び付きました。あの時棒立ちで麻薬の香を焚いて見守っていた男が、確かこんな声だった、と。
「はい。貴女のお腹が大きいことが分かったら、戦えなくなりました」
 スミレの警戒心はいつの間にか解けていました。男は、ほんの思い付きを話し出しました。
「あの、もし、もしも、本国に帰る手段があったとしたら、スミレ様は……」
 そこまで言うと、スミレは空いた片手でクレマチスの手首をガシッと掴み、
「なに?!本国へ、帰れるのか?」
 と声を被せました。本当はクレマチスは、「もし帰る方法が見つかったなら、自分を許してくれるかどうか」それだけ聞きたかっただけだったのですが、スミレに真剣な目で見つめられたら、なんだか気圧されてしまい、
「か、確証は持てませんが、探してみます。……いつか必ず帰れるよう、俺が何とかいたしましょう」
 と、約束してしまいました。
「何とか、できるのか?」
「……やれると思います。俺は、忍びですから」
 クレマチスは、流れで約束してしまったものの、それが自分にできる精一杯の罪滅ぼしかもしれないと思いました。

 サイプレス城の寝室で伏せる魔王は、意識があるうちは黒真珠の耳飾りに話しかけ、スミレの声を聴いていました。
「あの下衆め……!クソッ!スミレ、スミレ……!!」
 魔王の会いたい気持ちは、胸が張り裂けんばかりでした。
 愛しい女が寝取られる様を、指をくわえて聴くことしかできない。
 でも、スミレの声が聞こえるから。
 魔王は耳飾りを外すことができず、寝床で涙を流し続けていました。
 許せん、ヘンルーダ。絶対に許さんぞ。この世で一番むごい方法で、永遠に苦しめてくれる……!

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