第十一幕



2024-12-12 07:10:59
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 マロニエ王国の某所、もう何十年も昔に戦争によって破壊された砦跡の廃墟に、30人ほどのマロニエ兵が退屈を持て余して過ごしていました。
 兵士たちがそんな廃墟に配属されたのは、半年前の秋口。冬が来て、春が来て、初夏ももうすぐやってきそうなこの時期、何の変化もない生活にいい加減飽き飽きしていた兵士たちは、惰眠を貪っていました。
「ねー隊長……そろそろ帰っちゃダメなんすかねえ?いつになったら戦争終わるんすか?」
 平和ボケした兵士の一人が、隊長に愚痴をこぼすのもいつものことです。
「何を言ってるんだ、ここにいれば死ぬことはない。戦争が終わるまでここでのんびりしてれば、無傷で帰れる。一番いい配属先じゃないか。何の不満があるんだ」
 「そのうち終戦の知らせが来る」と、隊長が欠伸を噛み殺していると、見張り役の兵士が何かを地平線に認めました。
「な、なんだあれは……。こっちに向かってくる?た、大変だ!」
 「敵襲、敵襲!」と、見張り役の兵士は鐘をやかましく打ち鳴らしました。
 ごろごろしていた兵士たちは慌てて起き上がりました。
「て、敵襲?馬鹿な、どうせ素通りだろ?こんなところに来るわけない!」
「いや、確かにこっちに向かってくる!すごい大軍だ!一体何で?!」
 兵士は慌てて武器を取り、右往左往しながらもう忘れかけていた配置に就きました。

 魔王と馬を並べて先導するクレマチスは、小さい点のように見えてきた目的の廃墟を認めると、指をさしました。
「あれが件の廃墟です。元は砦だったので、雨風をしのげますよ」
 魔王は何も言いませんでした。罠に備えて、神経を研ぎ澄ましていました。
 魔王軍が砦の前に馬を停めると、クレマチスは馬から降り、「さあ、一休みしましょう」と、彼らを導きました。
 魔王達は警戒して馬から降りませんでした。
「魔王様、人間の臭いがします」
「うむ。何人かいるな」
 ジギタリスと魔王は耳打ちしました。それを魔王に抱かれて聞いていたスミレは驚きました。
「まさか?!クレマチス、危ない、下がれ!」
 クレマチスが、砦の敷地に一歩足を踏み入れると、中から数十人の兵士がわっと躍り出てきました。
「クレマチス、貴様やはり罠だったな!」
 魔王が怒鳴ると、クレマチスは面食らって引き返してきました。
「まさか、こんなところに兵がいるわけが!」
 魔王は愛用の魔剣を掲げました。
「者共、かかれー!!」
 混乱する廃墟前で、クレマチスは魔王に無実を訴えました。
「確かにここは誰も使っていないという情報だったのです。信じてください!俺はただ、スミレ様とお子様にここで休んでいただこうと!」
 魔王は厳しい顔を解きません。
「黙れ。貴様が謀っているだろうことは判っていた。驚きはせんが、我らを嵌めようとしたことは万死に値する」
 スミレはクレマチスを擁護しました。
「彼は嘘を言っていない!彼は最初からわたしをここに匿おうとしてくれていたんだ!ここに罠を張っていたとしたらわたしをここに連れてこようなんてしない!」
「さあどうかな。スミレをここに匿って、人質に取り、何か要求してやろうという考えもあったんじゃないのかな。そのための戦力をここに集めていたのかもしれん」
「ご、誤解です!」
 魔王の推察を聞くと、スミレは裏切られたような目でクレマチスを見ました。そんな……違う……!クレマチスは疑いを晴らそうと、そばに転がっていた剣を取り、マロニエ兵に立ち向かってゆきました。
「信じてください!俺はスミレ様の味方です!」
 クレマチスはさすがの剣捌きでマロニエ兵を退けましたが、彼は処刑台から逃げてきたままの姿でした。むき出しの肌は敵の剣の前にはあまりにも脆いものでした。彼は敵の剣に無残にも切り裂かれ、地に伏しました。
「クレマチス―――――!!!」
 スミレは魔王に赤子を預けて馬から降り、クレマチスに駆け寄りました。周囲では激しい戦闘が繰り広げられていましたので、スミレは彼を安全なところに引きずり、必死に声を掛けました。
「クレマチス、死ぬな、クレマチス!」
 クレマチスは薄く目を開け、「信じて……ください……」と呟きました。
「信じるさ、お前を疑ってなんかいない!わたしを助けてくれたんだ、信じてる!」
 待ってろ、というと、スミレは精神を集中させました。赤子の蘇生の時のように、魔法でクレマチスを直してやろうとしたのです。しかし。
「あ、あれ?なんでだ?魔法が使えない!」
 スミレの掌からは淡い光が出るものの、彼を癒すほどの力はありませんでした。仕方ないのでスミレは回復役を呼びました。
「誰か!彼を癒してやってくれ!」
「スミレ様……いいんです、俺は助からない」
 クレマチスは諦めていました。スミレはそんな彼を叱咤しました。
「そんなこと無い!大丈夫だ、魔族には魔法で怪我を直してくれる奴がいる!」
 気を揉むスミレの手を、クレマチスは掴み、彼女に問いました。
「スミレ様、少し、訊きたかったことを訊いてもいいですか」
「……?なんだ?」
「魔王様に再会できて、嬉しいですか」
「当たり前だよ。お前のおかげだ。ありがとう。感謝してるよ」
 クレマチスは、それを聞いて、ずっと訊きたかったことが今なら訊けるような気がしました。
「じゃ、じゃあ……。貴女を攫った俺を、許して、くれますか」
 スミレは一瞬ためらいました。確かに彼が自分を攫いさえしなければ、あんな苦しみはしなかったでしょう。それが彼女の喉を一瞬詰まらせましたが、今際の際の彼の前に、ほんの少しだけ嘘をつきました。
「許すよ。許す。今なら許せるよ。お前には感謝してる」
 満足したように薄く目を細めたクレマチスの瞳は、異国から船で運ばれてきた宝石のように透き通っていました。その碧い宝石を、金色に透き通る睫毛が縁取っていました。スミレは初めて彼の瞳をこんな間近で見て、とても美しいと思いました。
 スミレは引き寄せられるように、彼の唇に触れるだけのキスを落としました。クレマチスは目を伏せてそれを受け入れ、そのまま目を開けませんでした。
「……クレマチス……?クレマチス!おい、目を開けてくれ!」
 スミレはハッと、ある物の存在を思い出しました。そう言えば、魔王が生き血を注いで作ったという魔法の小瓶があった。それを使えばクレマチスを生き返らせられるような魔力が手に入るかもしれない!スミレは小瓶の封印をしている蝋を爪で剥がし、小瓶の蓋を開けました。
 するとどうでしょう。小瓶から出てきたのは、真っ黒い蛇のような煙でした。何匹も何匹も夥しい黒い蛇が小瓶から湧いてきて、蛇は、空中を滑るように進み、マロニエ兵の胸を刺し貫きました。
「わ、わ、わ、なんだこれ!」
 蛇はマロニエ人の分だけ湧いて出てきました。そして、マロニエ兵の心臓に侵入し、確実にマロニエ兵の息の根を止めました。
 魔王は、その様を見て、「スミレか。よくやってくれた」と、満足そうに頷きました。
 蛇は、もちろんクレマチスの心臓にも侵入しました。スミレが慌ててクレマチスに入ろうとする蛇を捕まえて引っ張り出そうとしますが、とうとう蛇はクレマチスの心臓も食い破りました。
「ああ、ああ、なんてこと!こんなはずじゃ!」
 スミレは回復役を呼びました。スミレの解放した魔法によって戦闘が終結したので、回復役はすぐにスミレの元にやってきました。
「クレマチスが死にそうなんだ。回復してやってくれ!」
 しかし回復役は首を横に振りました。
「ダメです、スミレ様。彼はもう死んでいます。さすがに死者は生き返りません」
「まだ生きてるはずだ、そんな魔法ないのか?」
 それでも彼は首を横に振ります。
「先ほどの呪いの魔法がかかっていて、蘇生は不可能です。あれは魔王様の究極の呪いの魔法。敵を確実に死に至らしめ、回復を受け付けません」
「そんな……」
 何ということでしょう。クレマチスを助けようとしたことが、逆に彼に止めを刺してしまった。スミレは声を上げて泣きました。
「あの小瓶を開けてくれたのだな。よくやったスミレ。おかげで敵兵は全滅だ」
 魔王はスミレの元にやってきて手を叩いて褒めました。その腕には赤子が抱かれています。
 スミレは魔王をキッと睨むと、彼に掴みかかりました。
「バカバカ!魔王の馬鹿!なんであんな物をわたしに持たせたんだよ!」
「馬鹿って……。言ったはずだ。身に危険がせまったら使えと。そのおかげでここは救われたのだぞ」
「違う!わたしが欲しかったのは、誰かを助ける力だ!怪我が直せたり、死人を生き返らせるような力が欲しかったのに!お前のせいでクレマチスに止めを……!」
 魔王は泣きじゃくるスミレの頭をポンポン叩きました。
「よしよし。クレマチスは死んだか。よくやった」
 スミレは魔王の手を払いのけました。
「何がよかったものか!クレマチスはわたしを逃がそうと色々手を尽くしてくれたんだ!助けるべき仲間と、倒すべき敵の区別もつかないのか!」
「しかしスミレ、奴は敵国の忍びだと言ったじゃないか。あんな信用のならない奴を生かしておいて得なことはない。また我々を罠に嵌めようとするやもしれん」
「だからこれは罠じゃないって!」
 スミレがあんまりクレマチスの肩を持つので、魔王はスミレにも疑いの目を向けました。
「どうしたスミレ。なぜそうまでして奴を庇う?奴がお前を攫ったのだぞ?」
 それを言われると、スミレは黙ることしかできませんでした。クレマチスの優しさに、少し浮気心が芽生えた自分と、彼さえいなかったらあんな辛い思いはしなかったという事実が彼女の心を苛みました。それを魔王に見透かされたような気がして、スミレは何も言えなくなりました。
 そこへ、味方の魔族が魔王に報告しに来ました。
「魔王様、数日分の兵糧が見つかりました」
「ご苦労。ここで一休みしよう」

 スミレはクレマチスを失った悲しみと、彼に止めを刺してしまった罪悪感に胸を痛め、彼のために、廃墟の片隅に彼の墓を建てました。簡素で急ごしらえの墓でしたが、彼の亡骸を埋める時、彼への恋心もそこに一緒に埋めました。いつか再びこの地を踏んで、この墓に手を合わせるその時まで、そしてスミレがいつか死ぬその時まで。この小さな浮気心は、スミレとクレマチスだけの秘密。

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