【短編番外】或る忍者の血塗られた物語



2024-12-12 07:15:07
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 今から27年前、北の果てにある、土地の痩せた貧しい国の、うら寂れた町の娼館。
 その二階にある娼婦たちの居住区で、一人の男の子が生まれました。
「なかなか二枚目じゃないか、この子。お前の名は、クレマチスにしよう。不細工が生まれたらどうしようと思ったけど、いい子が生まれてよかった…」
 クレマチスの母は、ブルネットの長い髪を乱雑に結い上げた、少しくたびれた顔をした女でした。でも、こんな娼館で働くことになる前は、白く透き通るような肌をした、とても美しい女だったのです。
 彼女は親の借金のかたにこの娼館に売り飛ばされ、若いころから懸命に働き、何年もかかって親の借金を払い続けました。
 長い娼婦稼業の間、何度も堕胎をしてきましたが、クレマチスを身ごもったとき、一人で生きていくのがとても寂しくなって、この子を産んだら娼館で働くのをやめ、真面目に働いて暮らそうと決めたのです。
 そして親の借金を払い終えると、娼館の主人は彼女の独立を認めました。そして一軒の酒場を斡旋し、彼女はそこでウェイトレスとして働き始めました。
 しかし、現実はそう甘いものではありませんでした。娼館で働くほどではないにせよ、酔った男の相手をさせられ、彼女の生活の辛さはさほど変わりませんでした。
 遂にクレマチスの母は、クレマチスが五歳になるころ、酒の飲み過ぎと男に伝染された病気のせいで、小さなアパートの一室で、クレマチスに看取られて亡くなりました。
 クレマチスの母は、今際の際に、クレマチスに何度も詫びたと言います。
「あたしは真面目に働いて、あんたを一人前の恥ずかしくない男にしたかった。でも、馬鹿なおっかぁでごめんね。全然全うに生きられなかった。恥ずかしいおっかぁでごめんね。ごめんね…」
 クレマチスは母を恥ずかしい人だとは思いませんでした。一生懸命働いてご飯を食べさせてくれた母のことを、とても誇りに思っていました。だから、「そんなこと無いよ、おっかぁ大好きだよ」と、彼女が死ぬまで言い続けました。

 クレマチスは酒場の主人に引き取られましたが、まだ幼いというのに、酒場の仕事を手伝わされました。
 重いビール入りのジョッキを何個も運ばせられ、溢れそうなスープ入りの皿を運ばせられ、まだ幼かったクレマチスはいつも失敗して、マスターからひどく虐められました。
 そんなある日のことです。いつものようにおぼつかない手つきで料理を運び、転んで料理をこぼしてしまい、マスターに強か殴られていたときのことです。客の一人の老人が、虐待するマスターの間に割って入りました。
「こんな小さな子供のしたことだ、許してやりなさい」
 マスターは「子供を甘やかしたらいけねえ!」と言い返しましたが、老人は見るに見かねてこう啖呵を切ってしまいました。
「あんたがこの子にひどい仕打ちをするほどこの子が要らないというなら、儂がこの子を貰い受ける!」
 斯くして、クレマチスはこの老夫婦に貰われることになりました。

 老人は、街からずっと離れた農村で、地主の土地を耕す小作人でした。自分たちのご飯もやっと賄っているような貧乏人でしたが、冬の寒い時期は街に出稼ぎをしに来て、魚の塩漬けなどを作っていました。
 老人が街の酒場にやってきたのは、そんな農閑期の晩秋のことでした。
 老人は奥さんの待つ実家に帰ると、奥さんにクレマチスを紹介しました。
 老夫婦には子供がいませんでした。ですから、老婦人は神様のお恵みだと泣いて喜びました。
 クレマチスは今までの人生を思いつく限り淡々と説明しました。すると老夫婦は滝のように涙を流して話を聞き、クレマチスをまっすぐに愛してあげようと、心に決めました。
 クレマチスはすくすくと大きくなりました。老夫婦はあまり彼に仕事をやらせたがりませんでしたが、クレマチスももう子供ではありません。老夫婦の農場の手伝いをして、懸命に働きました。そして14歳になったとき、地主の娘と初めて出会ったのです。

 クレマチスはすでに眉目秀麗な少年に育っていました。
 地主の娘もクレマチスと年が近く、とても美しい娘でした。
 二人が恋に落ちるのに、時間はかかりませんでした。
 娘の名はアルストロメリアといいました。クレマチスは彼女を「メリア」と呼び、アルストロメリアはクレマチスを「マチス」と呼び、農場の仕事の合間に、こっそり愛を育みました。
 しかし、いつまでも隠れていることはできませんでした。いつしか二人の関係は地主の耳に入りました。地主はかんかんに怒り、小作人である老夫婦の取り分を大幅に削減してしまいました。
 日々の食べるものにも困る生活。しかし老夫婦は、育ち盛りのクレマチスに腹いっぱい食べさせてやりたくて、自分たちの食べ物は我慢しました。
 そして老夫婦は、栄養失調でみるみる痩せ細り、クレマチスが16歳の時に、流行り病で立て続けに亡くなってしまいました。
 クレマチスは頼る親も無くなり、小作人の生活にも限界を感じ、アルストロメリアも手に入れたくてたまらなくなり、ある日、彼女を攫って駆け落ちしました。

 逃れ逃れて、二人は南下しました。地主であるアルストロメリアの親の手が届かないところまで。
 クレマチスの親となってくれた老夫婦は、自分たちが死んだ後クレマチスが困らないようにと、僅かばかりの蓄えを残してくれました。そしてクレマチスも老夫婦の残した家を売り払うと、結構なお金ができたので、そのお金を元手に、二人で小さな酒場を始めました。
 束の間の幸せな生活。やがて、二人の間には新しい命が宿りました。
 いつの間にか二人はすっかり優しい気持ちになってしまい、彼女の両親への恐怖心も忘れてしまいました。だから、二人は、「赤ちゃんができたのだから、両親も諦めて許してくれるに違いない」そう考え、アルストロメリアもまた「実家で赤ちゃんを産みたい」と考えるようになりました。
 アルストロメリアのお腹が目立ってきたころ、二人は酒場を長期休業し、故郷の地を踏みました。

 一方地主であるアルストロメリアの父は、娘はもう死んだものと思って生きていました。彼女が帰ってくるようなことがあったとしても、追い返してやるつもりでいましたが、彼女のことが心配な気持ちもあり、複雑な気持ちで過ごしていました。
 そんなところへ、娘が大きなお腹を抱えて帰ってきたのです、父は仰天しました。
「お義父さん、赤ちゃんができました。貴方の孫です」
「子供は実家で産んで、お父さんとお母さんに孫の顔を見せてあげたいと思ったの。だから、帰ってきたわ。今まで心配させて、ごめんなさい」
 複雑な気持ちを裏切られた気分になった父は、頭に血が上り、娘を殴り飛ばしました。
「この恥知らずめ!お前なんかうちの娘じゃない!娘は何年も前に死んだんだ!娘の亡霊め、とっとと出ていけ!」
 そしてあろうことか、アルストロメリアの大きなお腹を蹴り飛ばしました。
 クレマチスは慌てて義父を止めに入りましたが、義父はクレマチスも強か殴りました。
 騒ぎを聞きつけて母や召使が家から出てきましたが、アルストロメリアは危ない状態でした。大急ぎで馬小屋へ彼女を運ぶと、彼女は死産してしまい、それから何日もたたずに、彼女は亡くなりました。
 クレマチスは絶望しました。暗黒に染まった彼の心には、復讐の炎がメラメラと燃え盛りました。
「殺してやる――殺してやる――絶対に、許さない。殺してやるぞ――」

 ある夜、クレマチスは義父の寝室に忍び込みました。右手にナイフを携えて。
 アルストロメリアの父は殺気を感じると、クレマチスに襲われる寸前で目を覚まし、彼の刃から逃れました。そこで二人は激しくもみ合い、二人とも血だらけになって戦うと、クレマチスのナイフが義父の首を掻き切り、義父は絶命しました。
 全てが終わって血に染まった部屋に、クレマチスがぼうっと立っていたのを、別室から駆け付けた召使いや義母は、唖然として見ていることしかできませんでした。
 そして操り人形のようにふらふらと彼が立ち去るのを、腰を抜かして見送ることしかできませんでした。

 クレマチスは、もう何も失うものがありませんでした。
 母は死に、育ててくれた老夫婦は死に、愛する恋人も、顔も見たことのない子供も失い、敵も討った。彼の心は空っぽになりました。
 そして、死のう、と考えるのも自然な成り行きでした。
 何度も死のうとしましたが、決まって彼は死ぬ間際に発見され、生きながらえてしまいました。
 身の回りの大切な人たちはあっけなく死んでいったというのに、なぜ自分は死ねないのだろう。
 彼はいつの間にかマロニエ王国にやってきました。そこで、偶然武術大会の噂を耳にしました。
 彼は、「誰かが自分を殺してくれるに違いない」そう思ってエントリーしました。
 彼にあったのは戦闘経験ではありません。幼いころから肉体を酷使させられ続けた、鍛え抜かれた筋肉しかありませんでした。だから、勝てるはずがない、と思っていました。
 クレマチスは義父を殺したナイフ一本を携え、コロッセオにやってきました。
 一戦目はナイフ使いでした。自分よりもヒョロヒョロしていて、トリッキーな戦術を繰り出してくる男でした。クレマチスは敵の人を小馬鹿にしたような戦い方に苛立ちを覚え、敵の利き手を砕くと、敵はあっさり降参してしまいました。
 二戦目は肉の塊のような男でした。これまた動きが鈍重で、彼は余裕で敵の動きを見切り、また不意に苛立ちを覚え、敵をナイフで切り刻みました。敵はあっさりと降参しました。
 三戦目は準決勝でした。自分と体格もそう変わらない中肉中背の男でした。敵と自分の実力は互角でした。ギリギリの戦闘の中で、クレマチスの中の眠れる獅子が目を覚ましました。
 いつの間にかクレマチスは、「死にたい」から「生き残りたい」と考えていました。
「殺してやる――」
 そう思った瞬間、クレマチスは相手を惨殺していました。レフェリーが止めに入ったのも聞かず殺人機械になっていたクレマチスは、次の決勝で、不意に糸の切れた操り人形のように倒れてしまいました。
 極度の興奮状態に体がついていかなくなり、体が動かなくなってしまったのです。
 殺人機械と化したクレマチスの猛攻で、死ぬ間際まで追い込まれていた決勝戦の相手は、何が起こったかわからないまま一命をとりとめ、優勝しました。

 クレマチスの戦いぶりを観戦していた、まだ若き王・ヘンルーダ・シプリペディウム・オウ・マロニエは、優勝した男よりも、クレマチスのことが欲しくてたまらなくなりました。
 ナイフ一本でロングソードを振り回す戦士の懐に入って攻撃する。あれはまさしく王国が擁する忍び軍団の戦士に相応しい。
 斯くして、クレマチスは死ぬことはかなわず、逆に何人ものヘンルーダの敵を始末する殺人機械となったのです。
 クレマチスの心は、いつも空っぽでした。失うものなど、何もありませんでした。
 新しい親となったヘンルーダのために命を賭す。何人も親が変わり、何回も新しい親のために生きてきた。また新しい親のために一生懸命応えるだけ――。

 たまに夢枕に立つ恋人と赤ん坊だけが、彼の凍り付いた心の、唯一の灯火でした。

 おしまい。

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