第五話 言霊使いベル



2025-02-06 15:43:17
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 その夜、ケフィは悪夢に(うな)されていた。暗い、あちこちに灯る白熱電球以外は光のない、ほの暗いバー。そこで酒を飲んでいた人たちが、次々に口から血を吐き出して倒れてゆく。
 エラとニナとミルドレッドが、店の隅のテーブルで言霊を紡いでいる。彼女たちの口から出た言霊のリボンが、客たちの口に入っていき、客は血を吐いて倒れる。
 死屍累々とするバー。
 怖くなったケフィはバーから逃げ出すが、店の外も死体と吐瀉物が散らかっていて、どこを見渡してもおぞましく、汚い。
 怖い、汚い、ここは、地獄だ。ケフィは走った。走っても走っても、どこまでも死体が転がっている。
 目の前に、突如、以前別の夢の中に現れた、異形の怪物が立ちはだかった。
「怖いか、ケフィ。しかし、これが古霊の力だ。お前もじきに、あいつらと同じように、死体の山を築くことになる」
 ケフィは言い返した。
「嫌です!僕は、言霊を世のため人のために使いたい!あんな殺人犯にはならない!」
「しかしお前はすでに三つの生き物の命を奪っている。お前もまた、言霊使いなのだ」

「ち……が……う!」
 うまく言葉にならずに喉から絞り出した自分の声で、ケフィは目を覚ました。まだ夜明け前だが、空は白み始めていた。目覚まし時計の世話になる前だが、起きる時間だ。
 最悪な寝覚めだった。気分が悪くて朝食をとる気になれない。
 朝食前の祈りの時間の間に、最悪な気分がなんとか紛れればよいのだが。
 一体一体のご霊体に手を合わせ祝詞を唱えていると、憎しみの古霊オディウムの像の前に来た。
 人間の姿をしているが、顔を歪めて恐ろしい形相をしている。これが昨夜の人殺し……。夢の中に出てきた古霊の化け物とは違うようだ。たびたび語り掛けてくるあの古霊は、なんという名前の古霊なのだろう。

 朝食の時間、パンをかじりながら、ケフィはミルドレッドに訊いた。
「ミルドレッド様、ドラゴンのような姿で、目が五つあって、角が何本も生えてる、真っ黒い古霊っていますか?」
「え?なになに?」
 ケフィがもう一回説明すると、ミルドレッドはスプーンを咥えながらうーんと唸った。
「嵐の古霊テンペスタスが確かドラゴンの姿をしていたけど…他には思い当たらないわね。私の知らない古霊かもしれない。会ったことがあるの?」
「実は、時々僕の夢の中に出てきては、古霊道のことや、言霊使いの話を語り掛けてくるんです。だからたぶん古霊だと思うんですけど」
「ケフィの守護古霊かもしれないわね」
 エラが口を挟んだ。
「言霊使いに限らず、古霊道の洗礼を受けたものは守護古霊がつくわ。とにかく古霊についてはわかっていない古霊も多いから、誰にどんな古霊がついてるかは、古霊を視る専門の言霊使いに視てもらうしかないわね」
 ケフィがミルドレッドに問いかける。
「ミルドレッド様は最強の言霊使いなんでしょう?僕の守護古霊は視えますか?」
 するとミルドレッドは苦い顔をして、
「あたしは言霊の威力は世界最強だけど、守護古霊を視るほどではないの。普段お祈りしてる古霊以外は専門外だし」
 「そうなんですか……」とケフィは肩を落とした。
 と、不意にベルが口を開いた。
「ケフィさんの守護古霊は、テンペスタスではないと思います。もっと古の、名前も忘れられたような古い古霊」
 エラが面白くなさそうにベルに突っかかった。
「なによ、じゃあなんていう名前の古霊か判るの?言ってみなさいよ」
 棘のある言い方に、ベルは委縮し、「そこまではわかりません……」と、蚊の鳴くような声で呟いた。
 ミルドレッドは少し思案すると、
「ちょっと古い文献で調べてみるわ。もしかしたらケフィはすごい力を持っているかもしれない。あなた、言霊使いになるべくして生まれたのよ。自信持ちなさい」
 と、ケフィを励ました。

 ダイニングルームで紅茶をすすりながら、ケフィは今朝の夢のこと、昨夜の仕事ことを思い出し、これから先どうすればいいか、一人悩んでいた。
 と、そこへベルがやってきた。掃除用具を持っているところから見て、屋敷の掃除の途中なのだろう。
「あ、ここ、掃除しますか?」
 ケフィが椅子から立ち上がろうとすると、ベルは、
「あ、掃除は終わったんです。気にしないで。そのまま寛いでてください」
 と、ケフィを気遣った。
 ケフィはふと疑問に思って、ベルに訊いた。
「ベルさんってここのメイドさんなんですか?」
 ベルは一瞬傷ついたような顔をしたが、苦笑いをして答えた。
「そう思われても無理はないですよね。違いますよ、最初は言霊使いになろうとして、弟子入りしたんです」
「え、じゃあどうしてそんな雑用ばっかり……」
「私、言霊がうまく使えないから」
 ベルは掃除用具をテーブルの足元に置いて、ケフィの隣に座った。
「最初、入門したばかりのころは言霊は使えたんです。でも、怖くなっちゃって、それから言霊が使えなくなりました。言いたいこと、つまり、言葉を言霊にすること、それ自体が怖くなっちゃって、言いたいことも言えなくなりました」
 今のケフィには痛いほどよくわかる。言霊は怖い。奇跡のようにキラキラして綺麗で鋭いものではない。もっとドロドロしていて、醜い力だ。
「僕も今、ちょうどそんな気分です。昨日の夜のミッションで、人が死ぬところを見てしまって、なんて怖い力だろうと思いました。今は言葉を喋ることも、少し怖いです」
 ベルはぱあっと明るい顔をした。
「そうなんです、私もそうなんです。言霊が怖い。言霊って、こんな怖いことにしか使えないのかしらって思ったら、怖くて使えなくなりますよね」
「言霊って、もっと綺麗で人道的な使い道ってないんですか?願いを叶える、みたいな、人の怪我を治す、みたいな」
 ケフィは母の体を治すために奇跡の力にすがったのだ。それが自分は奇跡使いではなく言霊使いだということが分かったわけだが、同じまじない使いなら、理想を実現する可能性がどこかにあるに違いない。人を殺すだけが言霊ではないだろう。何かいい効果があればこそ、人は古霊に祈りを捧げ感謝し崇拝するのではないだろうか。
「無いわけじゃないですよ。恋を叶える言霊や、失くし物が出てくる言霊なんかもあります。人を殺したり攻撃するばかりが言霊じゃないですよ」
 それを聞いて、ケフィの心に希望が芽生えた。
「そうなんですね!わあ!じゃあ、僕、そんな言霊をいっぱい使えるようになりたいです!なんか希望が持てました!」
 そんな話をしていると、エラとニナがダイニングルームにやってきた。
 ケフィと親しげに話すベルの姿を見るなり、エラはベルにきつく当たった。
「何油売ってるのベル!あなたの仕事はほかに沢山あるでしょう?お堂の掃除は終わったの?」
「す!すみません!」
 ベルは話半分で飛び上がり、いそいそと足元の掃除用具を手に取り、部屋から出ていった。
「何の話してたの~?」
 ニナが、先ほどまでベルが座っていた椅子に座って聞いてきた。
「え、あ、こ、言霊ってどんなものがあるんですかって…」
「そんなのこれからいくらでも使えるようになるわよ、あなたのやる気があればね」
 エラが冷たく言い放った。
 ニナがこっそりケフィに耳打ちしてきた。
「あんまりベルと仲良くしないほうがいいよ。あの子、自分は言霊使えない癖に口ばっかりだから」
 ケフィは少しむっとした。笑いながら人を殺せるニナに、ベルやケフィの葛藤が解るわけがないと思った。
「なんでそんなこと言うんですか。ベルさんは守護古霊が視えるじゃないですか。彼女にだって言霊は使えますよ」
「使えない使えない。何か言いたいことあるの?って聞いても、なーんにも言えないの。ブツブツ言ってはっきりしなくて。うざいし暗いんだよね。あんな子に構ってると成長できないよ」
 ニナがベルを馬鹿にすると、エラは苛立ちをあらわにした。
「あたしベル大っ嫌い。イライラするの。あたしたちの修行の邪魔になるから、あの子にはなるべく視界に入ってほしくないわ。私はミルドレッド様に次ぐ言霊使いになりたい。だからああいう子が仲間にいると、邪魔なのよね、はっきり言って」
「あ、ねえねえ、何の紅茶飲んでるの?アップルティー?私も飲みたい!ケフィもお茶のおかわりいる?」
 ニナが気分を変えようと、茶器を用意して湯を沸かした。
 ケフィの心はもやもやしていた。ベルはきっとそんなに悪い人ではない。エラとニナに邪魔されて、言霊使いとして成長できないのだろうとしか思えなかった。
 やはりケフィは、エラとニナに苦手意識がぬぐえなかった。もっとベルと話してみたい。きっとベルは駆け出しのケフィの気持ちを汲んで、いい話し相手になってくれそうだ。
 何とはなしにダイニングルームの出入り口に目をやると、ベルが恨みがましい目をしてこちらを睨んでいた。
 ケフィと目が合ったことに気づくと、ベルはさっと顔を背け、どこかへ走り去っていった。
 と、そこへミルドレッドがやってきた。
「ここにいたのね、ケフィ。庭においで。あなたに言霊の基本を教えてあげるわ」
 先ほどのベルの励ましのおかげで元気づけられたケフィは、胸に希望を抱いて元気よく応えた。
「はい、ミルドレッド様!」

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