翌日からニコの奇跡使いの修行の日々が始まった。
しかし、彼は何も教える必要などないほど奇跡を使いこなしてしまっている。
彼に必要なのは、コントロールする方法だ。
ここで試しに奇跡の小瓶を作らせてみようと思ったアルシャインは、小瓶の作業場へニコを連れて行き、まず手本を見せてみた。
「いいかいニコ、この小さな小瓶に収まるように、奇跡の力を小さく集中するんだ。そして、奇跡の力が小瓶の中で水になるようにイメージする。やってみせるよ」
アルシャインは空の小瓶に手をかざし、意識を集中させた。
「水の神!光の神!生命の神!」
キュポン、という、例の奇妙な音を立てて、奇跡の力は水になった。
「そして、力が逃げないうちに栓をする」
コルクの栓をはめ、テープで封印。
「さあ、できるかな?」
ニコは、うーん、うーん、と首を忙しなく傾げて、悩んでいるようだった。しかしおずおずと小瓶に手をかざすと、神を呼んだ。
「水の神!光の神!命の神!」
途端、小瓶が破裂し、辺り一面に奇跡の液体がぶちまけられた。奇跡の液体はもうもうと煙になって蒸発し、部屋中に神の力が充満した。あまりに濃すぎる力に、息もできないアルシャインは、堪らず部屋のドアを開け、奇跡の力を逃がした。
「けほっ、けほっ、大丈夫かい、ニコ、ガラスでケガしてないかい?」
ニコは目を見開いて固まっている。何が起きたのか理解できないようだ。
アルシャインはイオナを呼び、掃除用具を持ってきてもらうと、作業場を簡単に掃除した。ガラスの破片でケガをしないように、念のために、光り物がないかチェックする。
「ニコ、力が強すぎるとこうなる。そんなに強い力は要らないんだ。小さーく、ほんのちょっとだけ奇跡を使って、少しだけ水にしてみてくれ」
ニコは叱られたのだと分かると、
「はぁい、ごめんなさぁい」
と、つまらなそうにふくれた。
「イオナ、何か、割れて怪我しない入れ物はないかな?」
「うーん、割れないもの、割れないもの……あ!紅茶の空き缶はどうですか?持ってきてみますね!」
そういってイオナがキッチンへ向かうと、程なくしていくつかの紅茶の空き缶を抱えて戻ってきた。
「よし、ニコ、この紅茶の缶で練習しよう。この缶に収まるぐらい小さく奇跡を使うんだ」
ニコは紅茶の缶に手をかざすと、息を大きく吸い込んだところでアルシャインに止められた。
「力いっぱいは要らない。力を抜いて、小さく、そっとだ」
ニコは吸い込んだ息を吐き出し、小さな声で「水の神、光の神、命の神」と囁いた。しかし。
ボウン!!
紅茶の缶は破裂こそしなかったが、容量オーバーで変形し、紫色の煙を吹きだして飛び上がった。小さく絞って絞ってこの威力である。
「……奇跡の液体はできたかな……」
アルシャインが紅茶の缶の中をのぞき込むと、どうやら液体はできているようだ。試しに舐めてみる。すると、
「うわっ……!なんだこれ!」
強烈な刺激が脳天を突き抜け、目が覚める。眠気覚ましが出来上がったようだ。栄養ドリンクのもっと濃いものと言ってもいい。
「うーん、でも、せっかく出来上がったから、勿体ないな。小さめの小瓶に詰め替えて、いつか利用しよう。ニコ、この中身をこの小瓶に詰め替えられるかい?」
スポイトで吸い取って、小さな小瓶に小分けにする。アルシャインは、疲れがひどいと訴える人に無料で配ろうかな、と考えていた。
ある日、ニコ、テンパランス、アルシャインは、難病ホスピスへ向かい、奇跡の力の真骨頂である、病気の治療にやってきた。
ホスピスへ入ると、スタッフや車椅子に乗った患者たちが皆笑顔で出迎えた。
「テンパランス様!お疲れ様です、今日はよろしくお願いします」
「おお、テンパランス様じゃ、テンパランス様が来るのは久しぶりじゃ!」
「こんにちは、テンパランス様。今日は三人かえ?」
出迎えた人々一人ひとりと握手するテンパランス。皆奇跡の力に与かり、苦しみを癒してもらおうと待っている。
まずは重症の患者の部屋から診療に入る。
管だらけでやっと生きているような瀕死の患者だ。テンパランスは涙型のクリスタルのペンダントを外し、クリスタルを患者に向けて奇跡を使った。
「生命の神!水の神!」
するとまばゆい光が患者を包み込み、しばらく輝くと、やがて光は集束した。
ニコは首を傾げた。
「それだけ?」
テンパランスは頷いた。
「それだけでいいのよ。大きすぎる力は患者の負担になるわ」
するとニコはつまらなそうに言った。
「僕治せる」
ニコは右手を患者にかざし、「命の神!水の神!光の神!」と、神を召喚した。
すると目を開けていられないようなまばゆい光が病室に満ち溢れ、患者が激しく咳き込む声が聞こえたかと思うと、光は集束した。患者はジタバタともがき苦しみながら、呼吸器に付けられた管をむしり取った。そして荒く息をつきながら、掠れたか細い声で、
「死ぬかと思った……」
と呟いた。
患者は十数年ぶりに自分の口が利けるようになっていること、そして十数年ぶりに上体を起こして自立していることに気づくと、唖然とした。
まるで十数年間眠り続けていたのが嘘のように、自然に首をめぐらせ、テンパランス達の姿を見止めると、「奇跡だ……」と呟いた。
テンパランスもアルシャインも、居合わせた看護師も、仰天である。
「奇跡だわ、テンパランス様も直せなかった患者を、一瞬で!!」
看護師は同僚を呼びに行くと、皆ぞろぞろと引き連れて部屋の中に入ってきた。途端、拍手喝采である。
「素晴らしいですテンパランス様のお弟子さん!優秀なお弟子さんを迎えられたんですね!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
テンパランスは焦った。どういう顔をしていいかわからない。
一方ニコは、すっかり有頂天になって、へらへら笑っている。
「僕治せるよ!みんなみーんな治すよ!」
すっかり愉快になったニコは病室を飛び出すと、隣の部屋のドアを開け放ち、「こんにちは!」と言って、治癒の奇跡を使った。部屋に光が満ち溢れ、病人が可能な限り回復する。また次の病室のドアを開けると、「こんにちは!」と言って、奇跡を使う。ニコは、一室一室巡って奇跡を使って回った。
「ま、待ちなさいニコ!そんなことをしてはいけません!」
「大変だ!患者のみなさん大丈夫ですか?!」
テンパランスとアルシャインは大慌てでニコを追いかけ取り押さえ、彼の暴走を静止した。
「ニコ、もうやめなさい!大きすぎる奇跡の力は禁忌だって言ったでしょ!」
「患者さんにもしものことがあったらどうするんだ!」
ニコは嫌々と駄々をこねると、
「まだ、まだ部屋がある、まだ患者さんがいる!」
と、静止の手を振りほどこうとした。
「ニコ!!!」
強く叱られたことがわかると、ニコはテンパランスとアルシャインをギリッと睨み、
「はぁい、ごめんなさぁい」
と、口だけは立派に謝った。しかし、ニコは不満そうである。
幸いだったのは、命を落とす患者がいなかったことである。不思議なことに、ニコが奇跡を使った患者たちは、可能な限り身体の障害が治癒していた。先天的な障害は治らなかったものの、後天的な障害は皆綺麗に治っていた。進行した不治の病も、ケロッと治っている。まさに奇跡としか言いようがなかった。
「ニコ様は神の使いだ!」
「精霊神だ!」
拍手喝采の難病ホスピスを逃げるように立ち去ったテンパランス一行は、「あのホスピスから治療費を受け取らない代わりに、報道に流さないよう口止めをしてもらおう」と考えた。
しかし思惑通りにはいかなかった。全く予想していた通りに世の中は動いてしまった。
テンパランスの事務所に報道陣が詰めかけ、難病ホスピスはニュースに取り上げられ、奇跡を聞きつけた国中の不治の病を抱える患者家族達から依頼が殺到し、大騒ぎになってしまった。
テンパランスは取材に応じ、アルシャインとイオナは電話の対応に追われ、ニコはというと……引き籠っていた。
あまりに沢山の口やかましい人々が詰めかけたことを知って、ニコは恐ろしくなって部屋に引き籠って出てこなくなった。
ニコの頭の中は疑問符ばかりが渦巻いていた。
「僕はいいことをしたのに、なんで怒られないといけないの?なんで人がいっぱい騒ぐの?」
テンパランス達はニコのその様子を見て、一貫してニコの奇跡を取り上げることを拒否し、依頼を断り続けた。
「彼は非常に敏感な子供です。彼の負担にならないよう、これ以上騒ぐのはどうかやめてください」
一か月ぐらいは経っただろうか。徹底して強い姿勢を崩さないでいると、次第に人々は次なる話題に流されてゆき、少しずつ静かな生活が戻ってきた。
「ニコ」
イオナがニコの部屋のドアを叩いた。
「多分もう怖い人たちは来ないよ。部屋から出ておいで」
ニコは窓の外を警戒し、耳を澄ませ、人の気配を警戒し、異常がないと確認すると、やっと少しだけドアを開いた。
「イオナ……」
イオナはドアを思い切り開け放つと、ニコを抱きしめた。
「よしよし、怖かったね。あたしも怖かったよ」
ニコはイオナを抱きしめ返した。
「怖かった」
「そうだね、今度からは力の使い過ぎに気を付けて、また騒がれないようにしよう」
知的な障害を持つニコにも、イオナのその言葉はニコの脳に深く刻まれた。
「うん」
もうあんな怖い騒がれ方はまっぴらごめんだ。
「朝ごはん出来てるよ。テンパランス様、怒ってないから、またみんなで一緒に食べよう」
ニコはテンパランスやアルシャインに会うのが怖かったが、イオナが「大丈夫。あたしが怒らないでって言ったから」と宥めると、ようやくニコは部屋から出てきた。
「テンパランス様……アルシャインさん……」
恐る恐るダイニングルームに入ってゆき、声をかけると、テンパランスもアルシャインも、すっかり平静を取り戻していた。
「おはよう、ニコ」
「おはよう、具合は大丈夫かい?」
久しぶりにみんなで囲む食卓。ニコはまだ怖かったが、イオナの存在が、彼の心の支えになっていた。
テンパランスは内心「あまり怖がらせないよう気を付けよう」と、気を遣いながら、平静を装ってニコに命じた。
「今日からまた修行を再開するから、エプロンを着て、道場に来ること、いいわね」
「はぁい……」
そして、また今まで通りの日常がやってきた。
ニコは少しずつ力を制限することを身につけていった。その一方で、ニコはイオナの雑用をよく手伝うようになった。テンパランスは精神修行にいいだろうと、イオナの手伝いを奨励した。
イオナと一緒にいる時間が長くなるにつれ、ニコはイオナに特別な感情を抱くようになった。
ニコにはその感情が何なのか理解できなかったが、彼女と一緒にいる時間が彼にとって特別な時間であるということは自覚していった。
「すっかりイオナに懐きましたね、ニコ」
アルシャインが、ニコを見守りながらテンパランスに話しかけた。テンパランスもまたニコを見守りながら答えた。
「そうね。あんまり仲良くなりすぎると困るのだけれど」
「……」
アルシャインは複雑な思いを見透かされた気分になって、何も言わなかった。
「そういえば」
テンパランスはあることに気づいた。
「ニコ、あれだけ力を暴走させたのに、監視の神から罰が下らなかったわね」
「そういえば……」
監視の神の罰には、何か法則性があるのだろうか。
「彼は、本当に神から愛されているのかもしれませんね」
「彼だけ特別扱いってこと?いやあね」
テンパランスもアルシャインも、監視の神の罰の痛さを思い出して、ニコの特別扱いに嫉妬した。
しかし、彼は何も教える必要などないほど奇跡を使いこなしてしまっている。
彼に必要なのは、コントロールする方法だ。
ここで試しに奇跡の小瓶を作らせてみようと思ったアルシャインは、小瓶の作業場へニコを連れて行き、まず手本を見せてみた。
「いいかいニコ、この小さな小瓶に収まるように、奇跡の力を小さく集中するんだ。そして、奇跡の力が小瓶の中で水になるようにイメージする。やってみせるよ」
アルシャインは空の小瓶に手をかざし、意識を集中させた。
「水の神!光の神!生命の神!」
キュポン、という、例の奇妙な音を立てて、奇跡の力は水になった。
「そして、力が逃げないうちに栓をする」
コルクの栓をはめ、テープで封印。
「さあ、できるかな?」
ニコは、うーん、うーん、と首を忙しなく傾げて、悩んでいるようだった。しかしおずおずと小瓶に手をかざすと、神を呼んだ。
「水の神!光の神!命の神!」
途端、小瓶が破裂し、辺り一面に奇跡の液体がぶちまけられた。奇跡の液体はもうもうと煙になって蒸発し、部屋中に神の力が充満した。あまりに濃すぎる力に、息もできないアルシャインは、堪らず部屋のドアを開け、奇跡の力を逃がした。
「けほっ、けほっ、大丈夫かい、ニコ、ガラスでケガしてないかい?」
ニコは目を見開いて固まっている。何が起きたのか理解できないようだ。
アルシャインはイオナを呼び、掃除用具を持ってきてもらうと、作業場を簡単に掃除した。ガラスの破片でケガをしないように、念のために、光り物がないかチェックする。
「ニコ、力が強すぎるとこうなる。そんなに強い力は要らないんだ。小さーく、ほんのちょっとだけ奇跡を使って、少しだけ水にしてみてくれ」
ニコは叱られたのだと分かると、
「はぁい、ごめんなさぁい」
と、つまらなそうにふくれた。
「イオナ、何か、割れて怪我しない入れ物はないかな?」
「うーん、割れないもの、割れないもの……あ!紅茶の空き缶はどうですか?持ってきてみますね!」
そういってイオナがキッチンへ向かうと、程なくしていくつかの紅茶の空き缶を抱えて戻ってきた。
「よし、ニコ、この紅茶の缶で練習しよう。この缶に収まるぐらい小さく奇跡を使うんだ」
ニコは紅茶の缶に手をかざすと、息を大きく吸い込んだところでアルシャインに止められた。
「力いっぱいは要らない。力を抜いて、小さく、そっとだ」
ニコは吸い込んだ息を吐き出し、小さな声で「水の神、光の神、命の神」と囁いた。しかし。
ボウン!!
紅茶の缶は破裂こそしなかったが、容量オーバーで変形し、紫色の煙を吹きだして飛び上がった。小さく絞って絞ってこの威力である。
「……奇跡の液体はできたかな……」
アルシャインが紅茶の缶の中をのぞき込むと、どうやら液体はできているようだ。試しに舐めてみる。すると、
「うわっ……!なんだこれ!」
強烈な刺激が脳天を突き抜け、目が覚める。眠気覚ましが出来上がったようだ。栄養ドリンクのもっと濃いものと言ってもいい。
「うーん、でも、せっかく出来上がったから、勿体ないな。小さめの小瓶に詰め替えて、いつか利用しよう。ニコ、この中身をこの小瓶に詰め替えられるかい?」
スポイトで吸い取って、小さな小瓶に小分けにする。アルシャインは、疲れがひどいと訴える人に無料で配ろうかな、と考えていた。
ある日、ニコ、テンパランス、アルシャインは、難病ホスピスへ向かい、奇跡の力の真骨頂である、病気の治療にやってきた。
ホスピスへ入ると、スタッフや車椅子に乗った患者たちが皆笑顔で出迎えた。
「テンパランス様!お疲れ様です、今日はよろしくお願いします」
「おお、テンパランス様じゃ、テンパランス様が来るのは久しぶりじゃ!」
「こんにちは、テンパランス様。今日は三人かえ?」
出迎えた人々一人ひとりと握手するテンパランス。皆奇跡の力に与かり、苦しみを癒してもらおうと待っている。
まずは重症の患者の部屋から診療に入る。
管だらけでやっと生きているような瀕死の患者だ。テンパランスは涙型のクリスタルのペンダントを外し、クリスタルを患者に向けて奇跡を使った。
「生命の神!水の神!」
するとまばゆい光が患者を包み込み、しばらく輝くと、やがて光は集束した。
ニコは首を傾げた。
「それだけ?」
テンパランスは頷いた。
「それだけでいいのよ。大きすぎる力は患者の負担になるわ」
するとニコはつまらなそうに言った。
「僕治せる」
ニコは右手を患者にかざし、「命の神!水の神!光の神!」と、神を召喚した。
すると目を開けていられないようなまばゆい光が病室に満ち溢れ、患者が激しく咳き込む声が聞こえたかと思うと、光は集束した。患者はジタバタともがき苦しみながら、呼吸器に付けられた管をむしり取った。そして荒く息をつきながら、掠れたか細い声で、
「死ぬかと思った……」
と呟いた。
患者は十数年ぶりに自分の口が利けるようになっていること、そして十数年ぶりに上体を起こして自立していることに気づくと、唖然とした。
まるで十数年間眠り続けていたのが嘘のように、自然に首をめぐらせ、テンパランス達の姿を見止めると、「奇跡だ……」と呟いた。
テンパランスもアルシャインも、居合わせた看護師も、仰天である。
「奇跡だわ、テンパランス様も直せなかった患者を、一瞬で!!」
看護師は同僚を呼びに行くと、皆ぞろぞろと引き連れて部屋の中に入ってきた。途端、拍手喝采である。
「素晴らしいですテンパランス様のお弟子さん!優秀なお弟子さんを迎えられたんですね!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
テンパランスは焦った。どういう顔をしていいかわからない。
一方ニコは、すっかり有頂天になって、へらへら笑っている。
「僕治せるよ!みんなみーんな治すよ!」
すっかり愉快になったニコは病室を飛び出すと、隣の部屋のドアを開け放ち、「こんにちは!」と言って、治癒の奇跡を使った。部屋に光が満ち溢れ、病人が可能な限り回復する。また次の病室のドアを開けると、「こんにちは!」と言って、奇跡を使う。ニコは、一室一室巡って奇跡を使って回った。
「ま、待ちなさいニコ!そんなことをしてはいけません!」
「大変だ!患者のみなさん大丈夫ですか?!」
テンパランスとアルシャインは大慌てでニコを追いかけ取り押さえ、彼の暴走を静止した。
「ニコ、もうやめなさい!大きすぎる奇跡の力は禁忌だって言ったでしょ!」
「患者さんにもしものことがあったらどうするんだ!」
ニコは嫌々と駄々をこねると、
「まだ、まだ部屋がある、まだ患者さんがいる!」
と、静止の手を振りほどこうとした。
「ニコ!!!」
強く叱られたことがわかると、ニコはテンパランスとアルシャインをギリッと睨み、
「はぁい、ごめんなさぁい」
と、口だけは立派に謝った。しかし、ニコは不満そうである。
幸いだったのは、命を落とす患者がいなかったことである。不思議なことに、ニコが奇跡を使った患者たちは、可能な限り身体の障害が治癒していた。先天的な障害は治らなかったものの、後天的な障害は皆綺麗に治っていた。進行した不治の病も、ケロッと治っている。まさに奇跡としか言いようがなかった。
「ニコ様は神の使いだ!」
「精霊神だ!」
拍手喝采の難病ホスピスを逃げるように立ち去ったテンパランス一行は、「あのホスピスから治療費を受け取らない代わりに、報道に流さないよう口止めをしてもらおう」と考えた。
しかし思惑通りにはいかなかった。全く予想していた通りに世の中は動いてしまった。
テンパランスの事務所に報道陣が詰めかけ、難病ホスピスはニュースに取り上げられ、奇跡を聞きつけた国中の不治の病を抱える患者家族達から依頼が殺到し、大騒ぎになってしまった。
テンパランスは取材に応じ、アルシャインとイオナは電話の対応に追われ、ニコはというと……引き籠っていた。
あまりに沢山の口やかましい人々が詰めかけたことを知って、ニコは恐ろしくなって部屋に引き籠って出てこなくなった。
ニコの頭の中は疑問符ばかりが渦巻いていた。
「僕はいいことをしたのに、なんで怒られないといけないの?なんで人がいっぱい騒ぐの?」
テンパランス達はニコのその様子を見て、一貫してニコの奇跡を取り上げることを拒否し、依頼を断り続けた。
「彼は非常に敏感な子供です。彼の負担にならないよう、これ以上騒ぐのはどうかやめてください」
一か月ぐらいは経っただろうか。徹底して強い姿勢を崩さないでいると、次第に人々は次なる話題に流されてゆき、少しずつ静かな生活が戻ってきた。
「ニコ」
イオナがニコの部屋のドアを叩いた。
「多分もう怖い人たちは来ないよ。部屋から出ておいで」
ニコは窓の外を警戒し、耳を澄ませ、人の気配を警戒し、異常がないと確認すると、やっと少しだけドアを開いた。
「イオナ……」
イオナはドアを思い切り開け放つと、ニコを抱きしめた。
「よしよし、怖かったね。あたしも怖かったよ」
ニコはイオナを抱きしめ返した。
「怖かった」
「そうだね、今度からは力の使い過ぎに気を付けて、また騒がれないようにしよう」
知的な障害を持つニコにも、イオナのその言葉はニコの脳に深く刻まれた。
「うん」
もうあんな怖い騒がれ方はまっぴらごめんだ。
「朝ごはん出来てるよ。テンパランス様、怒ってないから、またみんなで一緒に食べよう」
ニコはテンパランスやアルシャインに会うのが怖かったが、イオナが「大丈夫。あたしが怒らないでって言ったから」と宥めると、ようやくニコは部屋から出てきた。
「テンパランス様……アルシャインさん……」
恐る恐るダイニングルームに入ってゆき、声をかけると、テンパランスもアルシャインも、すっかり平静を取り戻していた。
「おはよう、ニコ」
「おはよう、具合は大丈夫かい?」
久しぶりにみんなで囲む食卓。ニコはまだ怖かったが、イオナの存在が、彼の心の支えになっていた。
テンパランスは内心「あまり怖がらせないよう気を付けよう」と、気を遣いながら、平静を装ってニコに命じた。
「今日からまた修行を再開するから、エプロンを着て、道場に来ること、いいわね」
「はぁい……」
そして、また今まで通りの日常がやってきた。
ニコは少しずつ力を制限することを身につけていった。その一方で、ニコはイオナの雑用をよく手伝うようになった。テンパランスは精神修行にいいだろうと、イオナの手伝いを奨励した。
イオナと一緒にいる時間が長くなるにつれ、ニコはイオナに特別な感情を抱くようになった。
ニコにはその感情が何なのか理解できなかったが、彼女と一緒にいる時間が彼にとって特別な時間であるということは自覚していった。
「すっかりイオナに懐きましたね、ニコ」
アルシャインが、ニコを見守りながらテンパランスに話しかけた。テンパランスもまたニコを見守りながら答えた。
「そうね。あんまり仲良くなりすぎると困るのだけれど」
「……」
アルシャインは複雑な思いを見透かされた気分になって、何も言わなかった。
「そういえば」
テンパランスはあることに気づいた。
「ニコ、あれだけ力を暴走させたのに、監視の神から罰が下らなかったわね」
「そういえば……」
監視の神の罰には、何か法則性があるのだろうか。
「彼は、本当に神から愛されているのかもしれませんね」
「彼だけ特別扱いってこと?いやあね」
テンパランスもアルシャインも、監視の神の罰の痛さを思い出して、ニコの特別扱いに嫉妬した。