第九話 私が望んだんです



2025-02-06 15:53:02
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 その日、ケフィはミルドレッドの書庫から借りた本を書庫に戻そうと、屋敷内を歩いていた。
 書庫の扉の前に立ち、ドアを開けようとすると、ドアの向こうから誰かのすすり泣く声がかすかに聞こえる。
 ケフィは驚かせないように、そっと音をたてないように扉を開いた。
「ベルさん……」
 ケフィが思わずそう呼ぶと、ベルはビクッと肩を竦め、逃げ出そうとした。本棚の陰に一瞬逃げ込んで、遠回りしてきたが、しかし、一つしかない出入口にケフィが立ちふさがっているため、逃げられない。
「通してください」
「どうしたんですかベルさん」
「通してください!」
 ケフィは腕を掴んで引き留めようとした。すると、「痛い!」と、ベルが悲鳴を上げた。
 ケフィは「触っただけなのに……」と思い、掴んだ手首を見ると、腕が腫れ上がっている。よく見れば、顔にも殴られた痕のような痣がある。
「誰にやられたんですか?エラさんですか?ニナさんですか?」
「放っておいてください!」
 ベルは何故かケフィを拒絶する。この人数の少ない屋敷内で、犯人はわかりきっているというのに、ベルは隠そうとした。
 ケフィはベルを壁に押し付け、逃げられないように両腕で囲むと、「じっとしてください」と、祝詞を唱え始めた。
「愛の古霊アマーレよ、傷つき病んだコルプスを休め、癒し給え」
 ケフィとベルを柔らかな光が包み、ベルの傷が回復した。
「あ……」
「僕、調べたんです。傷や怪我を治す言霊を。いくつかありましたが、簡単な怪我はこれで治るみたいです」
 ベルはかあっと顔を赤らめ、俯いた。
「ち、近いです」
 そう言われれば、やむを得なかったとはいえ、確かに距離が近い。ケフィもまた顔が紅潮し、「あっ、す、すみません!」と、慌てて離れた。
「ありがとうございます……」
 ベルがようやく礼を言うと、ケフィは謙遜した。
「いえ、覚えたてだったので、成功してよかったです」
「それじゃ、私はこれで」
 ベルがそそくさと部屋から出ていこうとするので、ケフィは再びベルの腕を掴んで引き留めた。
「ちょ、ちょっとまってください!その怪我、あの人たちにやられたんでしょう?」
 しかしベルは拒絶の姿勢を崩さない。
「あの、放っておいてください」
「放っとけませんよ!!」
 ベルは射抜くような目でケフィを睨んだ。
「じゃあ、あなたに何かできるんですか?今すぐ?」
「そ、それは……」
 考えてみたら、ノープランだ。ただ何となく声をかけただけで、ただ何となく助けたいと思っただけだった。それを見透かされたようで、ケフィは言葉に詰まった。ベルはケフィの拘束の手が緩むのを見ると、手を振り払い、黙って部屋から出ていった。
「ベルさん……どうして……」

 ケフィは考えた。師匠のミルドレッドがこの事態を黙認していていいわけがない。もしかしてミルドレッドもベルを虐めている?とも考えたが、いつぞや、ベルとミルドレッドが普通に話していたところを見たのを思い出すと、それは考えすぎだと頭を振った。
 ミルドレッドに確かめてみなければ。
 そして、こんなことはやめさせてもらわなければ。
 ケフィはミルドレッドの部屋へ向かった。直談判だ。
「ミルドレッド様、お話があります。お目通り願います」
「なあに?入りなさい」
 ケフィが室内に入ると、ミルドレッドは書類の束に目を通していた。タバコをふかしながら、電卓をはじいている。
「あの、ちょっと伺いたいことがあるんですが」
「早く言いなさいよ」
「ベルさんが、エラさんやニナさんに虐められていること、ご存知ですか?」
「知ってるわよ」
 返事は即答だった。やはり黙認していたのだ。
「なんで黙認しているんですか?本当はお弟子さんなのに、お手伝いさんみたいに働かせて」
「あたしがやれって言ったんじゃないわよ。自分からやりだしたのよ」
「え?」
 何かの間違いではないのか。ケフィは耳を疑った。自分からやりだした?
「エラさんやニナさんに言われてやらされてるんじゃないんですか?」
「違うわね。下働きしたいって、ベルが言い出したのよ。覚えてるわ。だから、放っておきなさい。あの子がやりたくてやってるんだから」
 そんな……。どういうことなのか聞き出そうとする前に、ミルドレッドは語りだした。
「エラが入って数日もしないうちにベルが入門したのよ。最初は二人とも仲良かったわ。でもしばらくしてベルが泣き出したのよ。『私、言霊を使うのが怖いです』って。そして、『何でもします。雑用しますから、言霊使うのは勘弁してください』って自分からね。それからニナが入ってきた。いつの間にかいじめられっ子の出来上がりよ」
 ケフィはその説明に納得せざるを得なかった。ケフィだって同じことをしそうだったからだ。
 心優しいベルのこと、人殺しをして心が壊れそうになったのだろう。言霊使いは、それを乗り越えなければやっていけない仕事であった。
 ケフィが沈黙していると、ミルドレッドは続けた。
「それにね、あの子、言霊が最初から使えなくて下手だから使わない、というわけじゃないのよ」
「?」
「あの子の潜在能力は、三人の中で一番強いわ。まあ私には劣るけど、結構強いのよ」
「!」
 ということは、言霊が使えないのではなく、言霊を「使わない」というのか。本当だったら言霊でいくらでもやり返せるのを、敢えて自ら力を封印して、大人しくやられっぱなしになっているのか。
「もしかして力が制御できなくて失敗してしまうからですか?」
「違うわね。コントロールもいいのよ。最初はすごく上手かった。エラが口惜しがっていたわね」
 「だから、放っておきなさい」とミルドレッドは繰り返した。
 ケフィは納得できない。
「せめて苛めをやめるように、エラさんとニナさんに言ってくださいませんか?」
「あ~あ~無理よ。ベルがやられっぱなしで大人しくしてるんだから、陰でいくらでもやるわねあの子たち」
 ケフィはやり場のない怒りに震えた。
 ケフィがエラとニナを拒絶したくとも、ミッションで一緒に動くことになる以上、毛嫌いばかりしているわけにもいかない。それでは事態は好転しないだろう。やはり、ベル自身をどうにかしなければ。
「ありがとうございました!失礼します!」
 ケフィはベルを捜し、走り出した。

 ケフィが屋敷中を探し回ってやっと彼女を見つけたのは、ご霊体のお堂の中だった。
 彼女はご霊体の像を一体一体布巾で磨いていた。
「こんなところにいたんですね、ベルさん」
「……」
 ベルは少し嫌そうな顔をしたが、無視して像を磨き続けた。
「ミルドレッド様から聞きました。本当は言霊が使えるのに、自分から封印しているんですってね。どうしてなんです?」
 ベルは布巾をバケツの水にくぐらせると、固く絞り、また次の像を磨いた。
「使いたくないからです。怖いんです。前に言いましたよね」
 ケフィは熱く語った。
「使い方さえ誤らなければ、言霊は正しく発動します。ベルさんはそれができるんでしょう?どうしてエラさんたちにやられっぱなしでいるんですか?本当だったら、そんな雑用も、みんなでやるべきことなのに。なんであなた一人が……!」
「放っておいてくれませんか?」
 ベルは再びケフィを拒絶した。
「ミルドレッド様から聞いたのなら知ってますよね。私、自分からこの仕事をしたいって言ったんです。だから、放っておいてください」
「けど、あなたがやり返せば、あの人たちだって虐めるのをやめてくれるでしょう?なんで虐められっぱなしでいるんですか?」
「それも」
 ベルはバケツを手に立ち上がって、ケフィを見据えて言い放った。
「私が望んだんです」
 ケフィはもう、何も言えなかった。

 ガイはミルドレッド達が車を出すとき以外でも、何か仕事があるとき以外でも、神出鬼没にふらりと現れる。
 ケフィはいつもガイのそんな行動が読めず、不思議に思っていた。
「よっ、ケフィ。言霊使いには慣れたか?」
「ガイさん……」
 ケフィが無意識に白い目でガイを見ると、ガイは「なんだよその目は!」と抗議した。
「俺だって暇人じゃないんだよ?忙しい中こうやって遊びに来てやってるのに、何だよ、男には興味ないってか?そんなに女の園が居心地いいか?」
「そんなこと言ってませんよ。いやあ、ガイさんって暇なのかなとは思いましたが」
「ひど!俺だって忙しいのよん?」
 ガイは右腕でケフィの頭を抱え込むと、左手拳で彼の頬をグリグリした。
「よ~お前さんだれか好きな子できたか~?エラか~?ニナか~?まさかミルドレッド狙ってないだろうなあ~~?」
「ね、狙ってませんよ誰も」
 ケフィはジタバタもがいて、ガイの腕から逃げ出した。
「正直に言え?エラか?」
 ケフィは全力で首を振った。
「ニナ?ニナ可愛いよな?」
 ケフィはまたも首を振った。
「まさかのベルちゃん?」
 ケフィは一瞬ためらい、首を振った。一瞬脳裏に、今朝壁に追い込んだ時の距離の近さがよぎった。
「何だ今のタメは?さてはベルちゃんか?意外だな~。でも地味そーだもんなーお前。ありえない話じゃないぜ」
「ち、違いますよ!!」
 ケフィはむきになって否定した。
「誰も狙ってなんかいませんよ!修行中ですよ?!」
「固てぇこと言うなよ。奇跡使いと違って言霊使いは恋愛オッケーなんだぜ?」
「え?!」
 ケフィは驚いた。テンパランスの屋敷であんなに厳しく叩き込まれたのだ。言霊使いも恋愛は禁止だと思っていた。
「ペナルティーとかないんですか?」
「無いんじゃねえの?聞いたことねえぜ。奇跡使いはなんかいたずらっ子みたいなツラにされるみたいだけどな」
 それは初耳だ。ミルドレッドも特に説明しなかったのは、最初からその概念がなかったからなのかもしれない。
「ベルちゃんか~~。めんどくさそうだけどお前ならできるよ~~。頑張れよ~~」
「違いますって!違いますからね?!」
 ケフィはベルの拒絶を思い出して、芽生えかけたベルへの想いを全力で否定しようとした。
 ガイはへらへら笑いながら、どこかへと消えていった。
「違い……ますよ……」
 ベルのことを思えばこそ、彼女に迷惑はかけられない。
 ケフィは複雑な気持ちで足元の芝生を見つめることしかできなかった。

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