第十二話 第二次予選



2025-02-06 19:49:56
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「感情なんていらない。感情は、私を狂わせる。感情なんてなくなってしまえばいいのに」
 テンパランスがまだ「ララ」という名の一人の少女だったころ、彼女の両親は幼い彼女を厳しくしつけた。父は規律に厳しい一流私立校の教師だった。厳格な父で、母も使用人もララも、誰も彼には逆らえなかった。
 ララが我侭を言って泣けば、凍える寒空の下、泣き止むまで玄関から締め出した。おいたをすれば焼けた火箸を腕に押し付けてきた。言うことを聞かないとすぐ殴った。
 少女はいつの間にか、人形のように心を閉ざし、親にとって都合のいい大人しい子供になった。
 彼女は、どうすれば親の怒りを買わずに済むか、それだけを考えるようになった。
 グレて親に迷惑をかけてやろうという反抗心が芽生える方向には育たなかった。彼女はただ、親の愛が欲しかった。親に褒めてもらいたかった。親の期待に応えたかった。
 しかし、彼女が十代半ば、中学に上がったころ、父がララとそう変わらない年齢の少女と不倫をして教職を解雇された。
 母親とララの受けたショックは計り知れなかった。母は父と離婚し、ララを引き取った。
 あんなに真面目で厳しかった父が不貞をはたらいたことは、ララの「認めてほしい」という気持ちを裏切り、彼女の心に深く影を落とした。彼女は恋愛や肉体関係に対してひどく潔癖になり、友人たちがしきりに話したがる恋の話に嫌悪感を抱くようになった。
 そんなララにも、初めて好きな人ができた。クラスメートの少年。彼女は葛藤した。恋愛なんて大嫌いだ。その先に待っているのは、あの汚らしい肉体関係しかないのだから。
 しかし少女も若かった。その少年のことを考えると、どうしようもなく熱くなる。
 ある日、もうどうなってもいいとさえ思えた彼女は、少年に告白しようとした。すると、一陣の風が彼女の肌を傷つけた。
「色欲に負けてはならぬ。お前は、選ばれし女なのだ」
 肉体無き高次の存在が、彼女を厳しく叱りつけた。雷に打たれたような衝撃だった。
 厳しかった両親に歯向かって罰を受けて、心を閉ざした彼女。その彼女の心の氷が溶け始めたところへ、今度は神から罰を受けた。
 神の声に何かを悟った彼女は、氷のように冷たい女になることを誓った。

 テンパランスは、そんな半生を思い返していた。あの時、誰も好きにならないと誓った。欲に負けて堕落しないと誓った。はずなのに。
 アルシャインが不意に彼女の手を握って、貴女を守ると言ってくれたから。テンパランスの心は揺れていた。
 アルシャインに初めて出会った時のことをよく覚えている。真面目そうで、優しそうで、うまくやっていけそうな気がしていた。あれから何年たっただろう。彼は、テンパランスに惚れて彼女に乱暴をはたらこうとした門下生たちから、いつも彼女を守ってくれた。そう、いつだって彼は、テンパランスを守ってくれた。それでいて、決して彼女に触れようとはしない。
「アルシャイン。あなたは何を考えて、いつも私のそばにいるの?」
 それは独白だったのだが、たまたまそばを通りかかったアルシャインが耳にして、心臓が口から飛び出そうなほど仰天した。
 アルシャインは、自分の心を見透かされたような気がしたのだ。
「えっ……!ふ、深い理由はありません!僕はあなたの弟子ですから!」
 反射的にそう言い訳して、今度はテンパランスが驚いた。
「貴方、いつからそこにいたの?」
「えっ?」
「わ、私、ただ、独り言を言っただけなのだけれど」
「えっ?す、すみません……」
 アルシャインは口元を覆って部屋から出ていった。取り残されたテンパランスも、珍しく顔を真っ赤に染めて、彼の消えた扉の向こうを、呆然と見つめていた。
「私、何も誤解されるようなこと言ってないわよね……?」
 独りになれそうな場所まで逃げてきたアルシャインは、壁にもたれて盛大に溜息をついた。
「独り言だったのか……。つい反応してしまった。僕も馬鹿だなあ」
 アルシャインは、テンパランスに惚れていた。しかし、戒律があるため、いつもその気持ちを押し殺していた。平常時はテンパランスをなるべく女だと思わないことにしていたし、尊敬する師匠として一心に彼女を信じ付いてきた。
 しかし、不意に心乱れることもある。気を抜けば溢れ出しそうになる、彼女への想い。
「落ち着け。また罰が下る。今奇跡使用不可になるわけにはいかないんだ」
 誰にも明かさなかったが、彼は時々テンパランスへの気持ちを抑えることができなくなり、監視の神から罰を受けていた。理由はいつも何かと誤魔化してきたが、彼が顔に傷をつけてくるときは、いつもテンパランスへの自制心が抑えられなくなった時だ。
「僕までテンパランス様の元を離れるわけにはいかない。あの人を独りにするわけにはいかない。耐えろ、落ち着け」
 彼は壁に背を預けたまま、自分の体を抱きしめ、平常心を取り戻そうと、ずるずるとしゃがみこんだ。

「はー、疲れたなあ。肩痛い……」
 洋服のアイロンがけに疲れて一休みしていると、それを手伝っていたニコが彼女を気遣った。
「痛い?」
「うん、肩が痛い。ちょっとね」
「治してあげる。命の神!」
 ニコはイオナの痛みがなくなることを願って奇跡を使った。
「わ!体が軽くなった!治ったよ、ありがとうね、ニコ」
 ニコは得意げにニコニコ笑った。
 ニコはすっかりイオナに懐き、イオナのためにその奇跡の力を揮った。最初のころは力が強すぎて失敗ばかりだったが、彼が力のコントロールを真剣に努力するようになったのは、彼女の役に立ちたいと願ったことが大きい。イオナもまたそれが解るから、イオナもニコを特別可愛がった。
 同い年とは思えないほど無邪気で子供っぽいニコは、イオナにとっては弟のような存在になっていた。
「よしよし、いい子」
 イオナはご褒美とばかりにニコの頭を抱きしめた。ニコもそれに甘えてイオナの胸に顔をうずめる。
 ニコは、イオナの為なら何だってできると思っていた。いつまでも彼女の愛を独り占めしていたい。その為なら何だってしてあげたい。ニコは今日もイオナの手伝いを頑張っていた。

 第二次予選が始まった。会場は前回と同じ競技場だったが、今回は顔ぶれが違う。今回の出場者は前回の予選を勝ち抜いた、国中の猛者が集っているのだ。この中の何組かが本選大会に勝ち進む。
 競技場前の広場は沢山の出場者でひしめきあっていた。
「てっ……テンパランス様。おっ……お久しぶりです。へへ……」
 不意に声を掛けられて、振り返ったテンパランスは、その顔を見て反射的に顔をしかめた。できれば会いたくなかった顔だった。
「ゴライアス……久しぶりね」
 その名を聞いて、アルシャインも振り返り、慌ててテンパランスを背に庇った。
「ゴライアス。君も来ていたのか」
 言外に「テンパランス様に近づくな外道」という鬼気を発して。
 ゴライアスと呼ばれた男は、すかさず立ちはだかったアルシャインの姿に、顔を歪めた。
「あっ……アルシャイン。きっ……君、まままだテンパランス様のところにいたのか」
「ゴライアス、知り合いか?」
 ゴライアスの仲間が話しかけ、ゴライアスは先程よりか幾分聞き取りやすい口調で答えた。
「あっ、ああ、昔の、ししし師匠だ」
 そんなやり取りをしていると、甲高い高笑いを上げながら、ミルドレッド達が現れた。
「おぉーっほっほっほ!あ、ちょ、ごめんあそばせ。テンパランス、こんなとこに……あ、ちょっと通して。こんなとこにいたのね!」
 颯爽と現れる算段だったが、この人混みに揉まれて、縫うようにやって来たミルドレッドは、髪が乱れてあまりカッコいい登場シーンとはいかなかったようだ。
「ミルドレッド……貴女まで……嫌だわ。試合前に憂鬱にさせるのはやめてくれない?」
 テンパランスは鈍い偏頭痛を感じ、頭を押さえた。
「今回も勝ち進むのはあたしたちよ!せいぜい足掻きなさいな」
「たたた、確かお前は、みっ、ミミルドレッド」
「あん?誰よアンタ?」
 ゴライアスは一方的にミルドレッドを知っていた。しかし、ミルドレッドにとっては今も昔も、その他大勢の中の一人という認識だった。
「むむ……昔、て……テンパランス様の弟子だった者だ」
「そして、テンパランス様にその汚い手で触れ、天罰が下り破門された男だ」
 アルシャインがつけ足した。
 テンパランスの脳裏に、あのときのシーンが蘇る。力任せに組み敷かれ、汚らしい唇が迫ってくる――。
「ああ、そういえば貴女、嫌な弟子をバスバス切り捨てて破門にしていって、結局一人しか弟子が残らなかったのよね。あ、今は二人か。ふーん」
 ミルドレッドは内心少しテンパランスに同情した。やってくる弟子がすべて男の世界に、女は自分ただ一人。そんな世界に居たら嫌なことも山ほどあるだろう。だが、憐れむような態度はとらなかった。あたしには関係ないわ。
 と、そこへ、場内放送でアナウンスが流れた。組分けの抽選会の知らせだった。
「行くわよテンパランス。初戦敗退させてあげるからね」
「ええ、それはこっちのセリフよ」
 テンパランスの手を引き抽選会場に向かうミルドレッド。柔らかな細い女の手に握られて、普段憎いと思っていた彼女の存在に、今は少し救われた気がしたテンパランスだった。

「第二次予選、第三組のチームは、競技場内にお進みください」
 場内アナウンスが流れ、テンパランスたちのチームが競技場内へ案内された。と、そこへ。
「て……テンパランス様」
 ゴライアスのチームと通路ではち合わせた。進行方向が同じということは、一緒の組らしい。
「貴方達……」
「これはこれはテンパランス様。貴女と戦えるとは光栄です」
 なにも事情を知らないゴライアスの師匠が、テンパランスに挨拶してきた。
「私も光栄ですわ。お互い生き延びましょう」
 テンパランスは事務的に返した。
「きょ……協力してくれ、トビー」
「本当にやるのか?反則だってバレたら……」
「ききき、奇跡の力だ。バレるもんか。あの女、ゆゆゆ許さない……復讐してやる……」

 第二次予選の敵はまたアディペムンドゥだという。一度倒した敵だ。倒し方が判っているものには手こずらないだろう。
「ニコ!」
「はい!電気の神!」
 ニコがありったけの力でアディペムンドゥに電気を叩きこむ!
 しかしアディペムンドゥは自分の体を水で包み、電気は水の上を滑った。アディペムンドゥは、ケロッとしている。
「あれ?なぜだ?アディペムンドゥの体が水で覆われて、電気が効かないなんて…」
 ポツリと溢したアルシャインの呟きに、ニコが意外な言葉を掛けた。
「あれは水の神だよ。あいつ、奇跡を使ったよ」
「み、水の神だって?なぜ?水は導体のはずでは?」
 ますます訳が分からなくなったアルシャイン。
「純水……。純度の高い水は絶縁体になるわ。アディペムンドゥは、かなり高度な水の奇跡を使ったのよ。まずいわ。さすが、古霊の眷属……!」
「そんな……!今度は奇跡を使う魔物が相手だなんて!!」
 ニコは前回効いたテンパランスとの合わせ技をやろうとテンパランスに持ちかけた。テンパランスも頷く。
「じゅうりょくのかみ!」
「金属の神!!」
 会場の人々はみな地面に這いつくばり、夥しい鋭利な刃がアディペムンドゥに襲い掛かる!
 しかし、地面に縛り付けられた人々はふっと体が軽くなったかと思うと、ふわりと舞い上がり、競技場のフェンスに叩き付けられた。動けない人々めがけて、テンパランスの生み出した刃が襲い掛かる!!
「きゃあ~~~!!」
 テンパランスは目を瞑り、悲鳴を上げながら、刃が霧のように消えてゆくイメージをした。
「消えて!!」
 すると、金属の奇跡は人々を刺し貫く寸前でかき消えた。
 やがて、ずるずると、縛り付けられたフェンスから人々がずり落ちてくる。
「不味い……。迂闊な真似をすると跳ね返される……」
 共闘していた言霊使いが破れかぶれで言霊を練り上げた。
「こうなったら正攻法よ!!死の古霊モーテムよ!!命の糸を断ち切り給え!!」
 すると、アディペムンドゥは言霊を使った言霊使いに向き直り、「ギャオオオオオオ!!!」と一声咆哮した。
「ヒッ!」
 言霊使いは短く悲鳴を上げたかと思うと、がくりとくずおれ、そのまま事切れた。
「ま、まずいぞ。これじゃあ打つ手無しだ!敵も奇跡を使うなんて!」
 この形勢に、しめたと顔をほころばせたのがゴライアスだ。敵も奇跡を使うなら、彼が奇跡の使い道をどうしようと、審判にバレる事はないだろう。彼はアディペムンドゥが火の神を呼ぶと、風の神を呼び、テンパランスたちに向けて炎を煽った。アディペムンドゥが能力者たちを踏みつぶそうと暴れまわると、テンパランスたちの足を掬うよう奇跡を使い、テンパランスたちは間一髪のところを生き延びた。
 さすがにおかしいと感じ始めたテンパランスたちは、神の力がどの方向からきているのかに神経を研ぎ澄ませた。アディペムンドゥだけではないはずだ。誰か邪魔する者がいる。
 しかしアディペムンドゥの攻撃も避けなければならない。テンパランスたちは苦戦を強いられた。
 アディペムンドゥが風の神を呼び、能力者たちを切り刻もうとすると、何者かの呼んだ風の神の力で、その奇跡は竜巻となり、場内を暴れまわった。
「くっ、誰だこんな馬鹿な力の使い方をしたやつは!」
 能力者たちが混乱に陥るのを安全圏で見守っていたゴライアスは愉快でたまらなかった。
「もっと苦しめ……。俺が味わった屈辱はこんなものじゃない……」
「火の神!」
 ニコが巨大な火の玉をアディペムンドゥにぶつけようとすると、ゴライアスは水の神の力をそれにぶつけた。途端、大爆発が巻き起こる。
「まただ!あーもう!!誰だよー!本気で怒ったぞ!」
 ニコは癇癪を起して周囲に火球を盲滅法に飛ばした。すると、審判員がそれを制止し、注意勧告をした。それを理不尽に思ったニコは抗議した。
「僕じゃない!誰かが先に僕に攻撃してきたの!僕は悪くないもん!」
「しかし、能力者同士の攻撃は反則です。退場になりますよ!」
「じゃあ僕たちを攻撃してきた奴に言ってよ!僕悪くない!」
 審判員ともみ合うニコ達を見て、周囲の能力者たちも異変に気づいたようだ。確かにおかしい。明らかに反則をしている者がいる。戦いながら、能力者たちは犯人探しをし始めた。
 しかし調子づいたゴライアスは次第に大胆になってゆき、馬脚を現した。
 アディペムンドゥが様子を窺がって何も行動を起こさなかったタイミングで、ゴライアスは堂々と金属の神で刃物を作り、テンパランスを狙ったのだ。
「危ないテンパランス様!大地の神!」
 アルシャインがいち早く危険に気付き、土の壁を築き攻撃を防ぐ。神の力の流れを読んだニコが、犯人を特定した。
「テンパランス様!あいつだ!あいつが反則してるんだ!」
「みみみ水の神!喰らえ!」
 ゴライアスが堂々と水の神で土の壁を押し流し、攻撃しようとした時、審判員が笛を鳴らし、ゴライアスに近づき、退場を命じた。
「お、おおお俺は何もしてない!」
 無実を訴えたゴライアスだったが、複数の能力者たちが彼の不正を訴えたため、彼の訴えは退けられた。
 また、ゴライアスとともに不正を働いたトビ―という男もまた退場を命じられた。
「やれやれ、これでようやく試合が始められるわね」
「あの男……本当に地に落ちましたね。この機会にテンパランス様に復讐など……」
「反則じゃなかったら僕あいつぶっ殺してるよ」
「こら、ニコ、そういう感情はよくないわ」
 テンパランスたちの組は、ここで仕切り直しとなった。

「で、あんたたちは減点1で、そいつらの組は退場で、あんたたちは3位通過だったというわけね」
「まったくいい迷惑だわ。完全にとばっちりよ」
 試合後、会場そばの小料理屋に居合わせたテンパランス達とミルドレッド達は、ライバル同士ということも忘れ同じテーブルを囲んでいた。
「まあ、貴女の日頃の行いが招いたことだから、仕方ないっちゃあ仕方ないのかもね。いい気味だわ」
「屈辱だわ……。あんなことがなければ私たちは1位通過間違いなかったのに」
 ミルドレッド達はさすがの1位通過だった。減点がなければテンパランス達は2位には喰いこめたかも知れなかったのだが。
「災難でしたね。お怪我はありませんか?あ、奇跡使いだからこういう心配はいらないのか……」
「ケフィは人の怪我の心配ばっかりよね!本当に言霊使いなのかしら」
 エラとニナが笑う。ケフィは照れ臭そうに頭を掻いた。
「ベルは相変わらず今回も何もしなかったけどね」
 エラが冷たい目でベルを一瞥する。ベルは誰とも視線を合わせず、黙々と料理を食べることに集中していた。
「ま、まあ、今回もベルさんが出るまでもなく皆さんが強かったってことで、いいじゃないですか。ベルさんは切り札ですよ。ねー、ベルさん?ねえ、ミルドレッド様?」
 ケフィが険悪な空気を和やかにしようとしたが、ベルは相変わらず無視を決め込み、ミルドレッドは急に水を向けられて当惑した。
「え?ああ、そ、そうね……」
 ミルドレッドは一つ咳払いをすると、
「ベル、次は本戦よ。貴女も見てるだけじゃ済まないのだから、今度こそちゃんとやって頂戴ね」
 と、ベルに注意する。ベルは、
「頑張ります……」
 と、蚊の鳴くような声で応えた。

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