ベルの紡いだ言霊はイムンドゥスに瓜二つだった。決定的に違うのは、イムンドゥスが黒いのに対し、その怪物は言霊のリボンがびっしり書かれた白い姿をしていたことだ。
視える者たちは絶望した。同じような怪物がもう一匹増えたことに。
しかし、どうも様子がおかしいのは、その怪物はイムンドゥスを攻撃するのだ。威力は遥かに強い。その衝撃で、火の粉が敵味方関係なく容赦なく降り注ぐ。
怪物はイムンドゥスのファイアブレス、尻尾薙ぎ、毒の吐息など、イムンドゥスの攻撃を忠実に真似、何倍もの威力で彼の邪竜を攻撃した。あれは災厄なのか、希望の星なのか。防御壁を展開した能力者たちは、二つの怪物の戦いを見守った。
一方そのころ、ケフィの死が受け止められないミルドレッド達は、悲嘆に暮れていた。
彼の死の原因を作ったのは自分たちだ、と、エラとニナは自分を責めた。
「こんなあっけないお別れなんてあんまりよ!目を覚まして!」
「いつもあなたには心配ばかりかけてごめんね。喧嘩ばっかり良くなかったね。ごめん、ごめんなさい……」
しかしどんなにケフィに詫びても、彼はピクリとも反応しない。
「言霊でケフィを生き返らせられたら、よかったのに……!」
ニナの「生き返り」という言葉に、エラが反応した。
「生き返り……。そうだわ。奇跡使いなら、そんな奇跡も起こせるんじゃないかしら。だって、奇跡使いってぐらいだもの」
ミルドレッドは「いくらなんでもそれは……」と言いかけたが、脳裏に、いつも憎くて仕方なかったあの女の横顔が過った。
「あいつなら、できるかも」
敵味方分け隔てなく、渇きに喘ぎ、傷を負った能力者たちを癒し続けたたった一人の奇跡使い。ケフィはあの女から託された子供だ。もしかしたら、彼女なら。
ミルドレッドは立ち上がり、彼女の元へ走った。
「テンパランス!!テンパランス!!」
ミルドレッドがよろめきながら駆け寄ってくるのを見て、テンパランスは何事かと驚いた。息も絶え絶えに彼女の胸に飛び込んできたミルドレッドを抱きとめると、「どうしたの貴女?」と声をかけた。
「あの子が、あんたのとこから来た、あの子、ケフィが……イムンドゥスに……」
ミルドレッドは息を整えながら事情を説明するが、テンパランスの顔を見ていると、ケフィが初めてミルドレッドの屋敷に来た時のことを思い出す。
「イムンドゥスに、殺され……っ!死ん……っ!即死だ……っ!」
嗚咽交じりに説明するミルドレッドが何を言わんとしているのか分からない。だが、ケフィに何かあったことは分かる。
「落ち着いてミルドレッド。ケフィがどうしたの?」
「……殺されたの……イムンドゥスに」
テンパランスは目を見開いた。
「即死」
「即……死……!」
いつも優しく微笑む、真面目な子。ひたむきに奇跡を覚えようとする姿勢、初めて力を使って見せた時の、あの嬉しそうな笑顔。あのケフィが、死んだ?
「お願い、助けて。あんた奇跡が使えるんでしょ?奇跡を起こして!あの子を助けて……!」
うわあああっとミルドレッドはその場に頽れ、泣き叫んだ。
「あの子が、死んだ……?」
テンパランスも状況がうまく呑み込めない。しかし、あのイムンドゥスだ。ありうることだ。
テンパランスは即座に生き返りの奇跡を思い出した。師匠の書斎で見つけた禁呪の本に書いてあった神の組み合わせが記されたページ。人間の作り方。
しかしあれは禁呪だ。その力を行使すれば、もう二度と奇跡が使えなくなるかもしれない。
だが、あのツンツン攻撃的なミルドレッドが自分を頼ってきたということは、よほどのことではないのか。何より、テンパランスは、ケフィのことを知りすぎるほどよく知っていた。
お母さんのために、奇跡使いにならなければと、泣いたあの子の、悔し涙。
「どこにいるの、ケフィは?連れて行って」
ミルドレッドはテンパランスの手を引いて走り出した。
ミルドレッドが戻ると、その場には血だまりしかなかった。血を引きずった跡を目で追うと、エラとニナは会場の隅でケフィを囲んでいた。その場に、いつの間にかアルシャインがいる。
「お願い、アルシャインさん、ケフィを助けて!」
「しかし、死んだ人を生き返らせる方法は……!」
「あ!ミルドレッド様!テンパランス様!」
テンパランスはケフィに駆け寄ると、脈を確かめ、生死を確認した。確かに死んでいる。しかし、まだそんなに時間は経っていないようだ。
「いったいどうしてこんなことに?」
テンパランスが問うと、エラもニナも「私が悪かったんだ」と自分を責め、要領を得ない。ミルドレッドが説明した。
「ベルっていう子がいてね。本当は強い子なんだけど、戦おうとしないから、喧嘩になって。それをこの子、優しいから、庇ったの。ちょうどそこに、イムンドゥスの尻尾が……。何も言えなかった。一瞬だった。だからこの子たち、自分を責めてるのよ。当のベルは、暴走してる。もう誰もあの子に手を付けられないわ」
テンパランスは思案した。今なら助けられる。でも、でも、でも。いや、しかし。
「下がって。今からありったけの神を呼ぶわよ。静かにして」
アルシャインは驚いて止めに入った。「生死にかかわる奇跡は禁忌だ」と、あれほどきつく言っていたのはテンパランスではなかったか。
「テンパランス様、ケフィを生き返らせるおつもりですか?無理です!禁忌だとおっしゃっていたはずではないですか!」
「そうね。禁忌よ。でも今ならまだ助かる。まだそんなに時間が経っていないわ」
「この人は本気でやるつもりだ」と察したアルシャインはテンパランスの両肩を掴んで止めようとした。
「やめましょう。諦めましょう!彼は死んだんです!そんなことをしたらもう二度と奇跡が使えなくなるかもしれませんよ?!」
テンパランスはアルシャインの瞳を見つめ返して言い放った。
「そうかもね。でも私たちは奇跡使いよ。何のためにこの力は奇跡と呼ばれていると思っているの?今この状況で奇跡を起こして見せずして、何が奇跡使いだというの?!私は奇跡使いよ。奇跡を起こして見せるわ」
テンパランスはアルシャインの手を振り払うと、両掌を天にかざして、空を仰いだ。そして、すっと目を伏せると、低い声で神の名を列挙し始めた。
「火の神、水の神、風の神、土の神、光の神、闇の神、雷の神、時の神、重力の神、酒の神、愛の神、幸福の神、色彩の神、音の神……」
テンパランスが神の名を呼ぶたびに、あたりに光が満ち、目も開けていられないほどの眩しさに覆われた。
「……命の神。彼を甦らせ給え!」
巨大な光の手が天高く伸びてゆき、何かを掴むと、その光の塊は激しい奔流となってケフィの体へと流れ込んだ。
「誰だ?これは禁呪か?」
奇跡使いジャッジメントは激しい光の発生源に目を凝らした。
「蘇生の奇跡か。いかん。いかんなあ。裁きの神よ、彼の奇跡使いに罰を!」
光の奔流がケフィの中にすべて飲み込まれると、ケフィの体はビクンと大きく跳ね、やがてケフィは浅く呼吸をし始めた。と、同時に、監視の神の鋭い風刃がテンパランスに襲い掛かり、テンパランスは衣服ごと顔も体もズタズタに切り刻まれた。
「もう奇跡は使えない、か……」
「テンパランス様!」
アルシャインは、テンパランスの肩を抱いて、彼女を気遣った。
「ケフィ?……ケフィ?」
ミルドレッドが恐る恐るケフィの頬に触れると、ケフィは薄目を開けた。
「ミルドレッド様?テンパランス様?」
わあっと、ミルドレッド、エラ、ニナはケフィを抱きしめた。
しかし。
「ごふっ!」
ケフィは激しく吐血した。
「すごく気持ち悪い……頭がくらくらする……」
その一言に、テンパランスはハッとした。
「そうだわ、私は命を戻しただけ。きっとケフィの体はイムンドゥスの毒で汚染されてる!アルシャイン、浄化して!」
アルシャインはその命令に即座に反応した。
「光の神!酒の神!命の神!」
ケフィの体の傷は徐々にふさがっていったが、顔色は一向に良くならない。
「しばらくかかりそうです。奇跡の小瓶の解毒剤も使ってみましょう」
アルシャインは腰のポーチからピンク色の奇跡の小瓶を取り出すと、ケフィの口に注いだ。
「ミルドレッド、しばらくこの子、家で預かってもいいかしら?解毒にはしばらくかかりそうだわ」
「ええ、もちろん。彼を頼んだわ、テンパランス!」
と、そこへジャッジメントが、彼の弟子・ポールを連れて現れた。
「禁を犯したな、テンパランス」
「いいえ、奇跡を起こしただけです」
テンパランスはジャッジメントを睨み返した。
アルシャインがテンパランスを庇うように、彼女の肩を抱く。
「裁きの神に裁かれたその傷跡が何よりの証拠だ。これは重大なルール違反だ。どこで覚えた?」
「常識として知っていたまでです」
反抗的な弟子の態度に苛立ちを覚えたジャッジメントは、審判を呼んだ。
「審判!ここに禁を犯して奇跡使用不可になったものがいるぞ!つまみ出せ!」
審判はイムンドゥスと怪物の戦いの火の粉をよけながら駆け寄ってきた。
「何をしたんですか?」
「蘇生だ」
審判はルールブックをペラペラとめくると、違反項目に蘇生がないかチェックした。
「違反には当たりません。いや、むしろそんな奇跡が起こせるならポイントですね」
「な、なにー?!現に奇跡が使えなくなっているのだぞ?!」
「いえ、奇跡で生き返らせたのならポイントです。奇跡ですよね?」
「上の者を呼べ!抗議する!!」
ジャッジメントはテンパランスを陥れようとした行為が逆にポイントを与えることになってしまったことに憤慨した。審判はめんどくさい人に捕まった……と、主審の元へジャッジメントを連れて行った。
ポールはテンパランスの肩を抱くアルシャインに目を止めると、「そういうのも違反なんじゃないですか?」と指摘した。
『?』
テンパランスとアルシャインが無自覚なので、ポールは一言「爆ぜろ!」と吐き捨て、ジャッジメントを追いかけた。
一方そのころ、イムンドゥスと能力者たち、そして、ベルの呼び出した謎の怪物は……。
「あの怪物やばいわ!無茶苦茶に暴れてくる!」
「あの白い怪物に触れるな!倍返しされるぞ!」
突如現れた巨大な言霊の怪物を敵とみなして攻撃した者たちが、攻撃を倍にして返され、右往左往していた。
ニコもまた白い怪物に攻撃して、倍の熱量でもってやり返されて疲弊していた。
「怖い……」
ニコは茫然と混沌とする戦場を見守り、自分が何をすべきか当惑していた。
「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね……ケフィさんのいないこの世なんか、無くなってしまえばいい。そして私も……」
ベルはケフィが生き返ったことも知らず、言霊の怪物に力を送り続けた。呪詛だ。憎しみと悔恨に心を奪われたベルは、今までため込んできた言霊の力を吐き出し続けた。あらん限りの呪詛の言葉を紡ぎ、怪物に力を与え続ける。
「全て壊して、全て殺して。歯向かうもの皆なぎ倒せ。あの怪物は絶対に許さない。塵に帰れ!」
実際のところイムンドゥスに確実なダメージを与えられるのは言霊の怪物のみだった。イムンドゥスが右前足で言霊のリボンを引きちぎると、怪物はイムンドゥスの右前足を吹き飛ばした。イムンドゥスがその胴体に食らいつくと、怪物はイムンドゥスの頭を食いちぎる。
見る見るうちにイムンドゥスは引きちぎられて、その体をなさない肉の塊になっていった。
「すごい……あの怪物、強い。今ならイムンドゥスを倒せるぞ!みんな、力を使え!」
希望を見出した奇跡使いが力を使い始めると、みなそれに倣ってイムンドゥスを攻撃し始めた。抵抗する術のなくなったイムンドゥスは、やがてズシンとその場に斃れた。
すると、イムンドゥスは最後の力で体中から穢れの蟲たちを放出した。ざわざわと夥しい無数の蟲がイムンドゥスから這い出して、能力者たちを襲う。
「ひぃっ!!いやああ!!」
「なんだこれは!くそっ!」
言霊の怪物に力を送り続けたベルにもその蟲は群がり、彼女の集中力が途切れた。
「ひぃっ!嫌!」
力の供給が絶えた怪物は、言霊のリボンがほつれてゆき、やがて霞となって消えていった。
ニコにも蟲たちが群がってゆく。ニコはその性質がただの闇のエネルギーが見せる幻影であることを見抜いた。
「うるさいな!光の神!全部焼いて!!」
ニコはフルパワーで光の神の力を引き出し、あたりを強烈な光で焼いた。蟲たちは影に逃げてゆき、次第に小さくなって消えていった。ニコの強力な光の力は、会場中の闇の力を浄化した。
後に残ったのは、生き延びた能力者たちと、逃げずに見守り続けた僅かな観客と、この試合を見守り続けた運営陣のみだった。
「し、試合終了ですー!!熱い戦いでしたね!結果はしばらくお待ちください!」
場内にアナウンスが流れると、人々はわあっと歓声を上げた。やっと終わったのだ。あの地獄のような戦争が。
「終わった……?本当に?」
「とどめを刺したのはだれだろう?」
「ともかく、控室に戻りましょうか」
能力者たちは、よろめきながら各々控え室へと帰っていった。
「ケフィさんが、生き返った?」
ベルは控室で弱々しく微笑むケフィを見て、仰天した。
「テンパランスがやってくれたの。でも、まだ全身を毒に蝕まれているわ。そっとしておいてあげて」
ミルドレッドに言われ、ベルは駆け寄りたい衝動をぐっと抑え、横たわるケフィに歩み寄り、膝をついてケフィの頬に触れた。
「よかった……。あなたが助かって、本当によかった……」
「ベルさん。僕のために戦ってくれてありがとう」
エラとニナもベルを褒めたたえる。
「ベル、すごいじゃない!やればできるじゃないあなた!一番強かったわよ!」
「なんで今まで力を使わなかったのよ!あんなすごい力があるなんて知らなかった!見直したわ!」
ベルは手のひらを返したように親しげに近寄ってくるエラとニナを睨んだ。
「だから、使いたくなかったんです」
ベルは内心「こいつらを殺しておけばよかった」と呪詛したが、エラとニナはその表情の変化に気付かない。
「よくやったわ、ベル。これから期待してるわよ」
ミルドレッドもベルを褒める。
「はい……」
ベルは幾分控えめな目でミルドレッドにうなずいた。
一時間の協議のあと、会場に集められた能力者たちに、賞が授与された。
生き残った能力者たちの中でも目覚ましい活躍をした者たちが、呼び出されて賞金を受け取る。
「そして、MVPは二人います!敵の能力者を禁呪で生き返らせるという、まさに奇跡を起こした能力者、奇跡使いテンパランス殿です!」
わあっと会場の観客が沸く中、テンパランスは茫然と賞金を受け取った。
「さらに、言霊の怪物を呼び出してイムンドゥスを倒したベルさん!おめでとうございます!」
ベルもまた、予想だにしなかったMVPを手にして、茫然と賞金を受け取る。
「よくやったわベル。誰もあなたに文句はつけないはずよ、受け取りなさい」
ミルドレッドに声をかけられ、それでもまだ夢でも見ているような心地だ。
そこへ、
「これは、受け取れません!」
と、テンパランスが向けられたマイクに言い放った。
「私は禁を犯しました。奇跡使いとして、人の生死にかかわる力は禁忌です。私は、辞退します」
会場はどよめいた。
「しかし、奇跡を起こしたあなたこそ真の奇跡使い……!」
食い下がる司会者に、「受け取れません」と、態度を崩さないテンパランス。
「当然だ。その女は禁を犯した。奇跡使い失格だ!」
ジャッジメントが声を張り上げた。
「奇跡使いと言霊使いの戦いならば、その法が許す中で戦うべきだ!」
しかし、声を張り上げるのはジャッジメントただ一人だけだった。能力者たちは、微妙な空気に気まずさを覚えた。奇跡とは、一体どうあるべき力なのか……。
「辞退した賞金は、慈善団体に寄付します」
「よろしいのですか?えー、であるならば、この賞金は慈善団体に寄付し、MVPはミルドレッド事務所のベルさんということで!おめでとうございます!」
こうして、奇跡使い対言霊使い世界一決定戦は幕を閉じた。
スタジアムのVIPルームでこの模様を見守っていた主催は、一本の電話をかけた。
「首相。ご覧になられましたか?勝負が決しました。受賞者には後ほど通知します。実に素晴らしい。見事なもんでしたよ」
首相の声が受話器から漏れ聞こえるが、何を言っているかまでは判別できない。
「ええ、はい、必ずや。それこそ奇跡ですからね。はい。失礼します」
受話器を置いた主催は、帰路に就く能力者たちを見下ろした。
「いいものができそうじゃないか……」
視える者たちは絶望した。同じような怪物がもう一匹増えたことに。
しかし、どうも様子がおかしいのは、その怪物はイムンドゥスを攻撃するのだ。威力は遥かに強い。その衝撃で、火の粉が敵味方関係なく容赦なく降り注ぐ。
怪物はイムンドゥスのファイアブレス、尻尾薙ぎ、毒の吐息など、イムンドゥスの攻撃を忠実に真似、何倍もの威力で彼の邪竜を攻撃した。あれは災厄なのか、希望の星なのか。防御壁を展開した能力者たちは、二つの怪物の戦いを見守った。
一方そのころ、ケフィの死が受け止められないミルドレッド達は、悲嘆に暮れていた。
彼の死の原因を作ったのは自分たちだ、と、エラとニナは自分を責めた。
「こんなあっけないお別れなんてあんまりよ!目を覚まして!」
「いつもあなたには心配ばかりかけてごめんね。喧嘩ばっかり良くなかったね。ごめん、ごめんなさい……」
しかしどんなにケフィに詫びても、彼はピクリとも反応しない。
「言霊でケフィを生き返らせられたら、よかったのに……!」
ニナの「生き返り」という言葉に、エラが反応した。
「生き返り……。そうだわ。奇跡使いなら、そんな奇跡も起こせるんじゃないかしら。だって、奇跡使いってぐらいだもの」
ミルドレッドは「いくらなんでもそれは……」と言いかけたが、脳裏に、いつも憎くて仕方なかったあの女の横顔が過った。
「あいつなら、できるかも」
敵味方分け隔てなく、渇きに喘ぎ、傷を負った能力者たちを癒し続けたたった一人の奇跡使い。ケフィはあの女から託された子供だ。もしかしたら、彼女なら。
ミルドレッドは立ち上がり、彼女の元へ走った。
「テンパランス!!テンパランス!!」
ミルドレッドがよろめきながら駆け寄ってくるのを見て、テンパランスは何事かと驚いた。息も絶え絶えに彼女の胸に飛び込んできたミルドレッドを抱きとめると、「どうしたの貴女?」と声をかけた。
「あの子が、あんたのとこから来た、あの子、ケフィが……イムンドゥスに……」
ミルドレッドは息を整えながら事情を説明するが、テンパランスの顔を見ていると、ケフィが初めてミルドレッドの屋敷に来た時のことを思い出す。
「イムンドゥスに、殺され……っ!死ん……っ!即死だ……っ!」
嗚咽交じりに説明するミルドレッドが何を言わんとしているのか分からない。だが、ケフィに何かあったことは分かる。
「落ち着いてミルドレッド。ケフィがどうしたの?」
「……殺されたの……イムンドゥスに」
テンパランスは目を見開いた。
「即死」
「即……死……!」
いつも優しく微笑む、真面目な子。ひたむきに奇跡を覚えようとする姿勢、初めて力を使って見せた時の、あの嬉しそうな笑顔。あのケフィが、死んだ?
「お願い、助けて。あんた奇跡が使えるんでしょ?奇跡を起こして!あの子を助けて……!」
うわあああっとミルドレッドはその場に頽れ、泣き叫んだ。
「あの子が、死んだ……?」
テンパランスも状況がうまく呑み込めない。しかし、あのイムンドゥスだ。ありうることだ。
テンパランスは即座に生き返りの奇跡を思い出した。師匠の書斎で見つけた禁呪の本に書いてあった神の組み合わせが記されたページ。人間の作り方。
しかしあれは禁呪だ。その力を行使すれば、もう二度と奇跡が使えなくなるかもしれない。
だが、あのツンツン攻撃的なミルドレッドが自分を頼ってきたということは、よほどのことではないのか。何より、テンパランスは、ケフィのことを知りすぎるほどよく知っていた。
お母さんのために、奇跡使いにならなければと、泣いたあの子の、悔し涙。
「どこにいるの、ケフィは?連れて行って」
ミルドレッドはテンパランスの手を引いて走り出した。
ミルドレッドが戻ると、その場には血だまりしかなかった。血を引きずった跡を目で追うと、エラとニナは会場の隅でケフィを囲んでいた。その場に、いつの間にかアルシャインがいる。
「お願い、アルシャインさん、ケフィを助けて!」
「しかし、死んだ人を生き返らせる方法は……!」
「あ!ミルドレッド様!テンパランス様!」
テンパランスはケフィに駆け寄ると、脈を確かめ、生死を確認した。確かに死んでいる。しかし、まだそんなに時間は経っていないようだ。
「いったいどうしてこんなことに?」
テンパランスが問うと、エラもニナも「私が悪かったんだ」と自分を責め、要領を得ない。ミルドレッドが説明した。
「ベルっていう子がいてね。本当は強い子なんだけど、戦おうとしないから、喧嘩になって。それをこの子、優しいから、庇ったの。ちょうどそこに、イムンドゥスの尻尾が……。何も言えなかった。一瞬だった。だからこの子たち、自分を責めてるのよ。当のベルは、暴走してる。もう誰もあの子に手を付けられないわ」
テンパランスは思案した。今なら助けられる。でも、でも、でも。いや、しかし。
「下がって。今からありったけの神を呼ぶわよ。静かにして」
アルシャインは驚いて止めに入った。「生死にかかわる奇跡は禁忌だ」と、あれほどきつく言っていたのはテンパランスではなかったか。
「テンパランス様、ケフィを生き返らせるおつもりですか?無理です!禁忌だとおっしゃっていたはずではないですか!」
「そうね。禁忌よ。でも今ならまだ助かる。まだそんなに時間が経っていないわ」
「この人は本気でやるつもりだ」と察したアルシャインはテンパランスの両肩を掴んで止めようとした。
「やめましょう。諦めましょう!彼は死んだんです!そんなことをしたらもう二度と奇跡が使えなくなるかもしれませんよ?!」
テンパランスはアルシャインの瞳を見つめ返して言い放った。
「そうかもね。でも私たちは奇跡使いよ。何のためにこの力は奇跡と呼ばれていると思っているの?今この状況で奇跡を起こして見せずして、何が奇跡使いだというの?!私は奇跡使いよ。奇跡を起こして見せるわ」
テンパランスはアルシャインの手を振り払うと、両掌を天にかざして、空を仰いだ。そして、すっと目を伏せると、低い声で神の名を列挙し始めた。
「火の神、水の神、風の神、土の神、光の神、闇の神、雷の神、時の神、重力の神、酒の神、愛の神、幸福の神、色彩の神、音の神……」
テンパランスが神の名を呼ぶたびに、あたりに光が満ち、目も開けていられないほどの眩しさに覆われた。
「……命の神。彼を甦らせ給え!」
巨大な光の手が天高く伸びてゆき、何かを掴むと、その光の塊は激しい奔流となってケフィの体へと流れ込んだ。
「誰だ?これは禁呪か?」
奇跡使いジャッジメントは激しい光の発生源に目を凝らした。
「蘇生の奇跡か。いかん。いかんなあ。裁きの神よ、彼の奇跡使いに罰を!」
光の奔流がケフィの中にすべて飲み込まれると、ケフィの体はビクンと大きく跳ね、やがてケフィは浅く呼吸をし始めた。と、同時に、監視の神の鋭い風刃がテンパランスに襲い掛かり、テンパランスは衣服ごと顔も体もズタズタに切り刻まれた。
「もう奇跡は使えない、か……」
「テンパランス様!」
アルシャインは、テンパランスの肩を抱いて、彼女を気遣った。
「ケフィ?……ケフィ?」
ミルドレッドが恐る恐るケフィの頬に触れると、ケフィは薄目を開けた。
「ミルドレッド様?テンパランス様?」
わあっと、ミルドレッド、エラ、ニナはケフィを抱きしめた。
しかし。
「ごふっ!」
ケフィは激しく吐血した。
「すごく気持ち悪い……頭がくらくらする……」
その一言に、テンパランスはハッとした。
「そうだわ、私は命を戻しただけ。きっとケフィの体はイムンドゥスの毒で汚染されてる!アルシャイン、浄化して!」
アルシャインはその命令に即座に反応した。
「光の神!酒の神!命の神!」
ケフィの体の傷は徐々にふさがっていったが、顔色は一向に良くならない。
「しばらくかかりそうです。奇跡の小瓶の解毒剤も使ってみましょう」
アルシャインは腰のポーチからピンク色の奇跡の小瓶を取り出すと、ケフィの口に注いだ。
「ミルドレッド、しばらくこの子、家で預かってもいいかしら?解毒にはしばらくかかりそうだわ」
「ええ、もちろん。彼を頼んだわ、テンパランス!」
と、そこへジャッジメントが、彼の弟子・ポールを連れて現れた。
「禁を犯したな、テンパランス」
「いいえ、奇跡を起こしただけです」
テンパランスはジャッジメントを睨み返した。
アルシャインがテンパランスを庇うように、彼女の肩を抱く。
「裁きの神に裁かれたその傷跡が何よりの証拠だ。これは重大なルール違反だ。どこで覚えた?」
「常識として知っていたまでです」
反抗的な弟子の態度に苛立ちを覚えたジャッジメントは、審判を呼んだ。
「審判!ここに禁を犯して奇跡使用不可になったものがいるぞ!つまみ出せ!」
審判はイムンドゥスと怪物の戦いの火の粉をよけながら駆け寄ってきた。
「何をしたんですか?」
「蘇生だ」
審判はルールブックをペラペラとめくると、違反項目に蘇生がないかチェックした。
「違反には当たりません。いや、むしろそんな奇跡が起こせるならポイントですね」
「な、なにー?!現に奇跡が使えなくなっているのだぞ?!」
「いえ、奇跡で生き返らせたのならポイントです。奇跡ですよね?」
「上の者を呼べ!抗議する!!」
ジャッジメントはテンパランスを陥れようとした行為が逆にポイントを与えることになってしまったことに憤慨した。審判はめんどくさい人に捕まった……と、主審の元へジャッジメントを連れて行った。
ポールはテンパランスの肩を抱くアルシャインに目を止めると、「そういうのも違反なんじゃないですか?」と指摘した。
『?』
テンパランスとアルシャインが無自覚なので、ポールは一言「爆ぜろ!」と吐き捨て、ジャッジメントを追いかけた。
一方そのころ、イムンドゥスと能力者たち、そして、ベルの呼び出した謎の怪物は……。
「あの怪物やばいわ!無茶苦茶に暴れてくる!」
「あの白い怪物に触れるな!倍返しされるぞ!」
突如現れた巨大な言霊の怪物を敵とみなして攻撃した者たちが、攻撃を倍にして返され、右往左往していた。
ニコもまた白い怪物に攻撃して、倍の熱量でもってやり返されて疲弊していた。
「怖い……」
ニコは茫然と混沌とする戦場を見守り、自分が何をすべきか当惑していた。
「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね……ケフィさんのいないこの世なんか、無くなってしまえばいい。そして私も……」
ベルはケフィが生き返ったことも知らず、言霊の怪物に力を送り続けた。呪詛だ。憎しみと悔恨に心を奪われたベルは、今までため込んできた言霊の力を吐き出し続けた。あらん限りの呪詛の言葉を紡ぎ、怪物に力を与え続ける。
「全て壊して、全て殺して。歯向かうもの皆なぎ倒せ。あの怪物は絶対に許さない。塵に帰れ!」
実際のところイムンドゥスに確実なダメージを与えられるのは言霊の怪物のみだった。イムンドゥスが右前足で言霊のリボンを引きちぎると、怪物はイムンドゥスの右前足を吹き飛ばした。イムンドゥスがその胴体に食らいつくと、怪物はイムンドゥスの頭を食いちぎる。
見る見るうちにイムンドゥスは引きちぎられて、その体をなさない肉の塊になっていった。
「すごい……あの怪物、強い。今ならイムンドゥスを倒せるぞ!みんな、力を使え!」
希望を見出した奇跡使いが力を使い始めると、みなそれに倣ってイムンドゥスを攻撃し始めた。抵抗する術のなくなったイムンドゥスは、やがてズシンとその場に斃れた。
すると、イムンドゥスは最後の力で体中から穢れの蟲たちを放出した。ざわざわと夥しい無数の蟲がイムンドゥスから這い出して、能力者たちを襲う。
「ひぃっ!!いやああ!!」
「なんだこれは!くそっ!」
言霊の怪物に力を送り続けたベルにもその蟲は群がり、彼女の集中力が途切れた。
「ひぃっ!嫌!」
力の供給が絶えた怪物は、言霊のリボンがほつれてゆき、やがて霞となって消えていった。
ニコにも蟲たちが群がってゆく。ニコはその性質がただの闇のエネルギーが見せる幻影であることを見抜いた。
「うるさいな!光の神!全部焼いて!!」
ニコはフルパワーで光の神の力を引き出し、あたりを強烈な光で焼いた。蟲たちは影に逃げてゆき、次第に小さくなって消えていった。ニコの強力な光の力は、会場中の闇の力を浄化した。
後に残ったのは、生き延びた能力者たちと、逃げずに見守り続けた僅かな観客と、この試合を見守り続けた運営陣のみだった。
「し、試合終了ですー!!熱い戦いでしたね!結果はしばらくお待ちください!」
場内にアナウンスが流れると、人々はわあっと歓声を上げた。やっと終わったのだ。あの地獄のような戦争が。
「終わった……?本当に?」
「とどめを刺したのはだれだろう?」
「ともかく、控室に戻りましょうか」
能力者たちは、よろめきながら各々控え室へと帰っていった。
「ケフィさんが、生き返った?」
ベルは控室で弱々しく微笑むケフィを見て、仰天した。
「テンパランスがやってくれたの。でも、まだ全身を毒に蝕まれているわ。そっとしておいてあげて」
ミルドレッドに言われ、ベルは駆け寄りたい衝動をぐっと抑え、横たわるケフィに歩み寄り、膝をついてケフィの頬に触れた。
「よかった……。あなたが助かって、本当によかった……」
「ベルさん。僕のために戦ってくれてありがとう」
エラとニナもベルを褒めたたえる。
「ベル、すごいじゃない!やればできるじゃないあなた!一番強かったわよ!」
「なんで今まで力を使わなかったのよ!あんなすごい力があるなんて知らなかった!見直したわ!」
ベルは手のひらを返したように親しげに近寄ってくるエラとニナを睨んだ。
「だから、使いたくなかったんです」
ベルは内心「こいつらを殺しておけばよかった」と呪詛したが、エラとニナはその表情の変化に気付かない。
「よくやったわ、ベル。これから期待してるわよ」
ミルドレッドもベルを褒める。
「はい……」
ベルは幾分控えめな目でミルドレッドにうなずいた。
一時間の協議のあと、会場に集められた能力者たちに、賞が授与された。
生き残った能力者たちの中でも目覚ましい活躍をした者たちが、呼び出されて賞金を受け取る。
「そして、MVPは二人います!敵の能力者を禁呪で生き返らせるという、まさに奇跡を起こした能力者、奇跡使いテンパランス殿です!」
わあっと会場の観客が沸く中、テンパランスは茫然と賞金を受け取った。
「さらに、言霊の怪物を呼び出してイムンドゥスを倒したベルさん!おめでとうございます!」
ベルもまた、予想だにしなかったMVPを手にして、茫然と賞金を受け取る。
「よくやったわベル。誰もあなたに文句はつけないはずよ、受け取りなさい」
ミルドレッドに声をかけられ、それでもまだ夢でも見ているような心地だ。
そこへ、
「これは、受け取れません!」
と、テンパランスが向けられたマイクに言い放った。
「私は禁を犯しました。奇跡使いとして、人の生死にかかわる力は禁忌です。私は、辞退します」
会場はどよめいた。
「しかし、奇跡を起こしたあなたこそ真の奇跡使い……!」
食い下がる司会者に、「受け取れません」と、態度を崩さないテンパランス。
「当然だ。その女は禁を犯した。奇跡使い失格だ!」
ジャッジメントが声を張り上げた。
「奇跡使いと言霊使いの戦いならば、その法が許す中で戦うべきだ!」
しかし、声を張り上げるのはジャッジメントただ一人だけだった。能力者たちは、微妙な空気に気まずさを覚えた。奇跡とは、一体どうあるべき力なのか……。
「辞退した賞金は、慈善団体に寄付します」
「よろしいのですか?えー、であるならば、この賞金は慈善団体に寄付し、MVPはミルドレッド事務所のベルさんということで!おめでとうございます!」
こうして、奇跡使い対言霊使い世界一決定戦は幕を閉じた。
スタジアムのVIPルームでこの模様を見守っていた主催は、一本の電話をかけた。
「首相。ご覧になられましたか?勝負が決しました。受賞者には後ほど通知します。実に素晴らしい。見事なもんでしたよ」
首相の声が受話器から漏れ聞こえるが、何を言っているかまでは判別できない。
「ええ、はい、必ずや。それこそ奇跡ですからね。はい。失礼します」
受話器を置いた主催は、帰路に就く能力者たちを見下ろした。
「いいものができそうじゃないか……」