第十八話 虚無の古霊ニヒリウム



2025-02-06 20:08:45
文字サイズ
文字組
フォントゴシック体明朝体
「時は一刻を争う。奴がエクシティウムの言霊を発現したら、こう唱えるがいい。『形あるものよ、虚無へ帰れ。古の亡霊よ、虚無へ帰れ。虚無の古霊ニヒリウムよ、災いの火を消し去れ』と。奴の力は強大だ。省略して防ぎきれる力ではあるまい」
「形あるものよ…か…わかりました。やってみます。力を貸してください!」
 ケフィがブツブツ何かと対話しているため、アルシャインは奇跡を使ってニコの攻撃を防いでいた。金属の神で巨大な盾を作り、攻撃を防ぐが、ニコの攻撃が強すぎるため、破壊と再生を繰り返していた。
「ケフィ!!どうしたんだ、君も頼むよ!」
「アルシャイン、ケフィは古霊と対話しているわ。何か打つ手があるのかも。話させてあげなさい」
 ニコは力を繰り出しても繰り出しても防がれることに癇癪を起していた。
「もう!!やめてよ!!みんな死んでよ!!大っ嫌いだ!!あーーー!!!!」
 ニコは自分の頭を両手のこぶしで殴り、奇跡のようにイメージで動かない言霊の力にも腹を立てていた。
「もっと、こう!!もっと、こう!!」
「思い通りにしたければ言霊を紡ぐしかないぞ、ニコよ。どうしたいのじゃ」
 ニコはパニックを起こし、いつの間にか泣いていた。複雑な想いが自分の中で処理しきれない。ニコには抱えきれない感情が爆発し、泣き叫びながら自分の頭を殴り続ける。
 テンパランスはそんなニコの様子に、ふといつもニコがパニックを起こしていた時の対処法を思い出していた。確か、イオナがいつも強く抱きしめ、落ち着くまでじっとしてニコの興奮を止めていた。 
「イオナ、ニコはパニックを起こしているわ。やはりニコにはイオナが必要なんじゃないかしら」
「え、ええ?!あんなふうになったニコを、私が止めるんですか?!」
「ニコはあなたにしか止められないわ。思い出して。パニックを起こしたとき、私では返り討ちに遭って殺されかけた。でもニコはあなたにだけは力を使わない。ニコはきっと、あなたの言うことしか聞きたくないのよ。ニコにはあなたが必要なのだわ」
 そうは言われても、先ほどあんなにはっきりと「イオナが嫌いだ」と言われたのに、まだイオナに彼を止める力があるだろうか。
 奇声を上げて暴れ、もがき苦しむニコを四人は見守った。ニコが落ち着いてくれたら、まだ希望があるのではないか。
 と、ケフィがニヒリウムとの会話を終え、他の三人に作戦を説明した。
「皆さん、聞いてください。僕がニコの攻撃を止めます。今、新しい言霊を覚えました。それを使ってみます」
「新しい言霊?可能なのかい?」
「言霊は奇跡と違ってイメージが必要ないから、言霊さえ紡げれば可能だと思います」
「じゃあ、ケフィはニコの力を封じて。その隙にイオナ、いつもみたいにできるかしら」
「え、やだ、怖いです!」
「ニコは今言霊以外の力が使えないわ。言霊も使えない今しかチャンスはないの」
「そっか……奇跡は使えないんですよね。……やってみます」
(嫌だ……嫌だ……みんな、嫌だ……!)
 奇跡が使いたくても使えないニコ。感情の昂りは彼の魔力を加速度的に上昇させる。
「ニコ、こう言うのじゃ、『エクシティウムよ、この地を破壊しろ』と!」
 ニコにできることは、この高まった魔力を言霊の力に変換することのみ。ニコは叫んだ。
「エクシティウムー!!この地を破壊してくださいー!!!」
 時は来た。
「今だ!形あるものよ、虚無へ帰れ。古の亡霊よ、虚無へ帰れ。虚無の古霊ニヒリウムよ、災いの火を消し去れ!!」
 ニコを中心として渦巻いた巨大な竜巻となった魔力は、ニヒリウムの吐息に吹き消された。力が掻き消されたニコは支えを失い、その場に膝をついた。
 イオナがニコに駆け寄る。
「ニコ、怒らないの。落ち着いて。何にも怖くない、怖くないよ。みんなニコニコだよ。みんなニコのことが大好きだよ。落ち着いて。深呼吸。深呼吸」
「イオ…ナ?」
 ニコの大きな体をイオナの小さな体で抱き止める。イオナは脱力し倒れそうになるニコを後ろから支え、その頭を胸に抱いた。
「また泣いたのニコ?泣くほど興奮しちゃだめだよ。みっともないよ。男の子でしょ」
「イオナ、嫌いだ」
 イオナは努めて笑って見せた。ニコは怖くない、いつもの癇癪だと自分に言い聞かせ、ニコを刺激しないよう優しく語りかける。本当は怖くてたまらない。手が震える。心臓が早鐘を打つ。
「嫌いなんて嘘だ。ニコは私のこと大好きだったでしょ。私もニコが大好きだよ」
「ケフィ、嫌いだ」
「ケフィは、病気が治ったから帰ります」
「帰るの?」
「帰るよ」
「テンパランス様嫌いだ」
「テンパランス様は今力が使えないの。大変なんだよ、優しくしよう」
「アルシャインさん嫌いだ」
「アルシャインさんがいなかったらこの事務所やっていけないんだよ?アルシャインさん優しいでしょ?」
 全員を嫌いだと確かめるように呟くニコに、上手く言い聞かせるイオナ。ニコの憎悪の矛先を逸らさなくては。
「みんないい人でしょ、嫌いじゃないよね?」
「イオナ僕のこと好き?」
「好きだよ、大好きだよ。私はニコのことが大好き。ニコは?」
「イオナ、好き」
「そう、ありがとう。暴れてみんなに迷惑かけた時はどうするの?」
「ごめんなさい」
「そう、みんなにごめんなさいできるかな?」
「できる」
 ニコはようやく平静を取り戻し、ゆっくりと立ち上がった。そしてほかのメンバーに向き直り、頭を垂れた。
「ごめんなさい」
 これがまともな知能のある一人の人間ならば、とても謝って済まされるようなことではない。しかし、ニコには罪の意識があまりない。それを理解する知能も足りない。そして、そんなことができるまともな知能があったら、ニコを落ち着かせ、暴走を止めることもできなかっただろう。ニコの知的障害によって引き起こされた大事件は、その障害の重さに助けられて沈静化した。

「ニコ、落ち着いた?」
 テンパランスの言葉に、「落ち着いた」と返すニコ。それを聞いて、命の危険を感じながらニコを宥めようとしていたイオナは、緊張の糸が切れたのか、気を失って倒れた。
「イオナ?!」
 ニコがイオナを抱き留めると、駆け寄ったテンパランスはイオナをその場に横たわらせた。
 テンパランスにはイオナの恐怖の大きさがよくわかる。強大すぎるニコの力を前にして、イオナはよく戦ってくれた。
「イオナ、ありがとう。みんな、大丈夫よ。力が抜けただけよ。ニコ、イオナは怖かったって」
 ニコは反省したようだ。
「ごめんなさい、イオナ」
「ともかく、ニコが落ち着いてくれてよかった。ケフィ、ありがとう。そして、ニコが迷惑をかけてごめんよ」
 アルシャインがケフィに感謝と謝罪をすると、ケフィは複雑な気持ちになった。
「僕がご迷惑をおかけしなかったらニコはこんなに暴れたりしなかったんでしょうね。こちらこそ、ご迷惑をおかけしてすみません」
「ケフィが謝ることではないわ。今後はニコが暴れたりしないよう、ニコにはきつく指導するわね」
 テンパランスもケフィに詫びた。と、大事なことを忘れていることに気付いた。
「ニコ、あの古霊が入っていた本はどこ?」
「本?」
 ケフィとアルシャインは本の存在を知らない。ニコに視線を集めると、ニコはきょろきょろと辺りを見回し、何かを見つけると、それを拾ってテンパランスのもとへ持ってきた。
 封を切られた、一冊の日記帳。
「これはもう使えないわね。新しく日記帳を買ってきて、それにニコの古霊を封じましょう。ケフィ、私は力が使えないから、あなたにやってもらうわ」
「この本には何が入っていたんですか?」
 ケフィが問うと、テンパランスは、
「この中には破壊の古霊エクシティウムが封じられていたの。ニコにはその古霊が取り憑いているのね」
 と説明した。
「ニコ、この本、どうしてこんなことしたの?」
 テンパランスがなるべくニコを刺激しないように問う。ニコはばつが悪そうに、もじもじと答えた。
「扉を開けて、扉を開けて、本を開けなさいって、本のおじさんが言ってたの。ダメなんだよって言ったけど、命令されたの。ごめんなさい」
「そうね、この中にはとても悪い物が入っていたの。私も内緒にしていて悪かったわ。でも、もうこの本のおじさんとはさようならね。絶対にその言霊を唱えてはいけないわ」
「はい」
「封じるって……そんな強大な古霊を僕が封じることができるんですか?」
 テンパランスは本を開いて見せた。
「この本にその方法が書いてあるわ。これを解読して、新しい日記帳に書き写し、言霊を使えば封じることが可能なはずよ」
 アルシャインが車で街に出かけ、鍵のついた日記帳を買ってくると、テンパランスは徹夜で内容を書き写した。数十ページに及ぶその内容は、エクシティウムを使役するための言霊や、エクシティウムを封じる言霊、力を象徴するシジルなどが詳細に記されていた。
 実のところ、テンパランスもその本の内容を見たのは初めてだ。この本はテンパランスが言霊使いの修業を辞め、道場を立ち去った時に、師匠から譲り受けたものであった。師匠は言った。
「この本に耳を傾けてはなりません。この中には忘れられた破壊の古霊エクシティウムが封じられています。エクシティウムはあの手この手で封印を解こうとするでしょう。言霊使いの手に渡っては一大事です。奇跡の力で厳重に封印し、誰も近寄らせてはなりません。あなたがこの封印を守るのです」
 テンパランスはその言いつけを守り、部屋の中に一切の能力を封じる術を施し、封印を守ってきた。
 能力を封じるまじないは特殊な術法だった。イメージをパワーソースとする奇跡とも、言葉をパワーソースとする言霊とも異なり、幾何学模様の図形とモンスターの生き血を使用したものだった。テンパランスは噂に聞いたことがある。奇跡、言霊のほかに、古霊やモンスターを使役する召喚術、動物の体液やがらくたを使い、幾何学模様を描くことによって魔法を起こす魔術がこの世には存在するということを。しかし、歴史の陰に隠されたその力は、表立って宗教として確立している力ではない。
「この封印も古霊道の力を利用しているけれど、魔術が使われているわ……」
 ケフィには詳しいことを教えてはならないと感じた。きっと奇跡使いや言霊使いが触れてはいけない領域だ。知ってしまったら世界の均衡を崩してしまう。
「封印の言霊だけ伝えてあとは触れないようにしなくちゃ。ニコには今度こそ決して関わるなと説明しなければ」

 全員が集まった道場で、テンパランスはニワトリの生き血を日記帳に振りかけた。
「ケフィ」
 テンパランスの合図にケフィがうなずく。
「古の破壊の古霊エクシティウムよ、永き眠りに就け。この世の終末が訪れるその時まで、目を覚ますことのないよう、我、汝をここに封じる」
 ケフィの口から紡がれた言霊のリボンはニコに絡みつき、その身を縛り上げた。
「苦しい!助けてテンパランス様!」
「耐えて、ニコ!もうすぐよ!」
 ニコはたまらず嘔吐した。その吐瀉物とともにニコの口からエクシティウムが這い出してきて、言霊のリボンに縛られ日記帳に引きずられてゆく。
「おのれ、テンパランス、ケフィ、儂を再びこの窮屈な本に閉じ込めるか。口惜しや、口惜しや……。見ておれ、儂は必ず甦る。再びこの世を混沌に沈めてみせるぞ……」
 赤黒い光を放つ日記帳に、ずるずると引きずり込まれるエクシティウム。やがて忌まわしいその尻尾まで全て日記帳に吸い込まれると、赤黒い光は収まり、エクシティウムの恨み言も消えた。
「終わったようね。みんな、見たでしょう。この日記帳には恐ろしい力が封じられている。決して奴の声に耳を傾けてはだめよ。倉庫の奥の書庫には誰も立ち入らないように。いいわね」
 一同は深くうなずいた。

 翌日、ケフィは荷物をまとめ、アルシャインの車に積み込んだ。
「お世話になりました。ありがとうございました」
「達者でね、ケフィ。まあ、近所だからまたどこかで会えると思うけど。気をつけてね」
 イオナがケフィを気遣う。イオナは買い物でミルドレッドの屋敷の近くのスーパーに立ち寄ることが多い。またいつか会えるはずだ。
「はい。ありがとうございます、イオナさん。お世話になりました」
「ケフィ、ミルドレッドさんのところで何か困ったことがあったらいつでもうちを頼ってくれ。力になれるようにいつでも待ってるから」
「ありがとうございます、アルシャインさん」
 アルシャインはケフィと固く握手を交わした。
「ニコ……」
「……」
 ニコは相変わらず複雑な顔をして口をきこうとしない。本当はニコも悪いことをしたと思っているのだ。しかし、去りゆく者に無理に情けをかける必要性が分からない。
「……元気でね」
 ケフィはぎこちなく微笑みかけた。
「あのミルドレッドのことだから、あなたも辛い修行に身を置いていることでしょうけど、頑張ってね。あいつのことが嫌なら早く独立なさい。元気で」
 テンパランスはケフィと握手する手に力を込めた。
「テンパランス様。大丈夫です。結構楽しいですよ。またどこかでお会いしましょう。お世話になりました」
 アルシャインはケフィを助手席に乗せ、車を発進させた。
 ミルドレッドの屋敷に着くと、ケフィは玄関先ですべての荷物を下ろし、その場でアルシャインに別れを告げた。
 アルシャインの車が小さくなって見えなくなると、ケフィは荷物を抱え、ミルドレッドの屋敷のノッカーを叩いた。
「ミルドレッド様、ただいま帰りました。またよろしくお願いします!」
 すると、どかどかと騒がしく足音を響かせ、ガイが玄関から飛び出してきた。
「ケフィ!!おかえりー!!丁度良かったぜ!!お前の帰りを待ってたんだ!!」
「どうかしたんですか?」
「どうもこうもねーよ、最悪だ。病み上がりにわり―けど、お前しかこの状況を救えねー!!」
 頭に疑問符を浮かべながらケフィが屋敷に入ると、そこには壮絶な惨状が広がっていた。

いいね!