時はガイとクリスの再会の夜から一週間ほど前のこと。クリスはミルドレッドに確実に復讐しようと、大技の言霊を練った。
「運命の古霊ファトゥムよ、私を苦しめたミルドレッドに絶望的な運命を与え給え。ミルドレッドが人生を悔やみ、己の罪を後悔して絶望の海に落ちますように」
クリスはあらん限りの憎しみを込めてミルドレッドを呪った。その呪いの言霊は蛇のように虚空をうねり旋回すると、ミルドレッドの元へ飛んで行った。
「絶望に苦しむがいいわ、ミルドレッド様。いいえ、ミルドレッド。何もかも貴女が悪い。貴女が私の人生に影を落としたのよ……」
クリスがここまでミルドレッドを憎むのには訳がある。あれはミルドレッドの元に入門した時のこと。言葉の意味や正確な使い方を誤解していたクリスは、ミルドレッドから教わった言霊を暴発させて、失敗ばかりしていた。
「みんなもちゃんと辞書を読んで、言葉の正確な意味を覚えなさい。そして沢山本を読むこと。現代の乱れた言葉に慣れた子は、言霊使いになれないわ。クリスみたいになるわよ」
クリスにとって、まるで馬鹿の見本のように侮辱されることは耐え難い屈辱だった。クリスは学生時代優秀な成績を鼻に掛けていたのだ。みんなのアイドルで、勉強の相談にもよく乗っていた。それが、ミルドレッドには馬鹿にされ、エラとニナには嗤われ、無能者だと虐められた。
「私が悪いんじゃない。ミルドレッドが無闇に小難しい言葉遣いをするからよ。もっと易しい今風の言葉に言い替えることもできるのに、古臭い厳めしい言葉で言霊を教えるから」
完全なる逆恨みであるが、クリスの中では自分を責めて反省するという殊勝な心掛けは存在しなかった。自分が失敗するのはいつも誰かのせい。私は何も間違っていない。可愛くて頭の良い私が失敗するわけがない。私はやればできる。誰よりも私は私自身を信じる。
クリスは荷物をまとめるとミルドレッドの屋敷から飛び出した。ミルドレッドの屋敷にいたのはほんの一か月ほどのことである。しかし、クリスにとってその一か月は心が壊れるのに十分すぎる、地獄のような時間だった。
クリスはアレキサンドライトの屋敷に入門すると、生まれ変わったように明るくなった。
「クリスはお姫様みたいに可愛いね。頭もいいし」
そんな風に持ち上げられるものだから、アクセサリーショップでおもちゃのティアラを買って身に着けた。
クリスは優秀な言霊使いとしてアレキサンドライトに溺愛された。すべて順調だった。だのに。彼女らは再びクリスを脅かしに現れた。
「見てなさい、ミルドレッド、エラ、ニナ。あなたたちの事務所が二度とやっていけないようにしてやる」
そして、場面はガイとクリスの取り巻きの男たちが睨み合う場面に戻る。
「んだぁーーー?!くらあーーー!!!」
先に緊張状態を破ったのはクリスの取り巻きの男の中の一人だ。ガイを椅子から引きずり倒し、蹴りを食らわせる。予想外の方向から体勢を崩されたガイはしばらく男たちに蹴られることとなる。しかし、ガイもやられっぱなしではない。蹴る男の軸足を掴み、転倒させると、素早く体勢を立て直した。
「一人に大勢で卑怯じゃねえかよ。つるまねえと何もできねえのかもしれねえが」
ガイは口に溜まった血を吐き出すと、勢いよく男達に殴り掛かりに行った。
クリスは静観している。ここでガイを半殺しにして言霊で回復して恩を売れば、ミルドレッドの男であるガイを手玉にとれるだろうと計算してのことだ。
しかし、計算外のことが起きた。ガイが予想以上に強い。男たちは片っ端からガイにやられて酒場に転がった。
「この俺に喧嘩を売ろうなんて100年早いぜ。伊達に社会の裏を渡り歩いちゃいねえんだよ」
「が、ガイさん……」
計算が狂った。クリスは必死に今後の流れを計算しなおす。どうしたらミルドレッドを出し抜ける?
「クリス、怪我はねえか?」
ガイが男達に背を向けてクリスに微笑んだ。すると、またも予想外のことが起きた。
「死にさらせやゴルァ!!!」
なんと、倒れた男の一人が刃渡りの長いナイフを取り出し、ガイを背中から一突きにした。
「て……めえ……くそ、油断した……」
「キャ―――――!!!!」
困ったのはクリスだ。ミルドレッドに一泡吹かせるための手駒であるガイを殺されるのはやりすぎだ。蘇生など言霊使いの領域ではない。それは奇跡使いの能力であり、奇跡使いの中でも禁呪にあたるのに。
「やりすぎよテディ!!殺されたら私には何もできないの!!」
「く、クリス……ごめんよ……」
刺した男はナイフを取り落とし、倒れたガイを呆然と見下ろした。クリスはガイの息を確かめると、最大のパワーで回復の言霊を唱える。
「愛の古霊アマーレよ、死の淵に立つガイの傷を癒し給え!目を覚まして、ガイさん!」
クリスの言霊は間一髪でガイの命を救ったようだ。ガイは吐血したが、見る見るうちに傷や怪我が修復してゆく。
「クリス、助かったぜ」
「ガイさん……ごめんなさい」
クリスは泣き出してしまった。やりすぎた。ここまでやるつもりではなかった。
「おい、てめえら、女の子泣かせておいて、それでもこの子のお友達のつもりかよ。最低だな。クリス、もういい。泣くな。俺は大丈夫だ。お前さんは悪くねえよ」
倒れた男たちは立場がない。話が違う。結果クリスを泣かせることになってしまった。ばつが悪くなった男たちは気絶したふりをして倒れていた。
「ガイさん、何かお詫びします。私をガイさんのお家に連れてって」
ガイは迷った。だが、クリスが泣きながらどうしてもお詫びしたいというので、ガイはミルドレッドとの新居ではなく、個人的な住処にしているマンションへとクリスを連れてゆくことにした。
クリスはガイとともに地下鉄に乗って考えた。恩を体で払ってしまえばいいかもしれない。計算は狂ったが、事態は予想よりもいい方向に進んでいるかもしれない。
「ただいまー。ガイ?疲れたんだけど」
ミルドレッドは安アパートの自室に帰宅してガイを探した。しかし、その姿が見えない。そういえば喧嘩をしたんだっけ……。
ミルドレッドは自分で料理を作り、一人で食べることにした。だが、一抹の不安がよぎった。あの飄々とした性格のガイが、女たらしのガイが、彼女と喧嘩したらどんな行動に出るだろう。
「浮気してんじゃないでしょうね……。そういえば、あいつ、自分のマンションはそのまま借りてるんだったわ」
ミルドレッドはガイのマンションへ様子を見に行くことにした。ガイのマンションの合鍵は持っている。だが、なぜだろう。今度の浮気はただの浮気ではないような気がする。もう二度と彼女のもとにガイは帰ってこないかもしれない。
ミルドレッドの心臓が早鐘を打つ。どうしてこんなに不安に駆られるのだろう。この胸騒ぎはどこから来るのだろう。
「ガイ、お願い、今更あたしの元からいなくならないで……!」
一方クリスとガイはマンションに到着し、クリスはガイの冷蔵庫の食材を探した。
「何か簡単に作りますね☆」
「ありがとう。誰かに作ってもらうのは久しぶりだぜ」
クリスはジャガイモを切ると油で炒めて、冷蔵庫に入っていたビール瓶とグラスを用意した。
「あんなことになっちゃったから、飲みなおしません?」
ミルドレッドは車がガイに奪われているため、地下鉄へと走った。地下鉄から数駅行けば、ほどなくガイのマンションにたどり着く。だが、地下鉄が遠い。ミルドレッドは一気に走る足も止まり、時々歩きながら道を急いだ。
「いつも、車だから、地下鉄が、こんなに、遠いなんて」
「ガイさん、私酔っぱらってきちゃった。ふわふわします。今なら何でもできそう……」
「俺も今日は酔ったなあ。何してくれるんだ、クリス?」
クリスはガイを押し倒すと、ズボンのベルトに手を伸ばした。
「口でご奉仕してもいいですよ……」
「ごめん、ガイ、あたしが悪かった。今までのこと謝るから、あたしを部屋に入れて……」
ミルドレッドは地下鉄に揺られ、祈るような気持ちで車内アナウンスに耳を傾けた。
あともう少しで、ガイのマンションに着く。マンションの最上階、10階。エレベーターから飛び出し、ガイの部屋の鍵を開ける。しかし、鍵は開いていた。
「ガイ!!あたしが悪かったわ!!帰ってきて!!」
しかしそこにいたのは、下半身を晒したガイを組み敷く下着姿のクリスという光景だった。
「運命の古霊ファトゥムよ、私を苦しめたミルドレッドに絶望的な運命を与え給え。ミルドレッドが人生を悔やみ、己の罪を後悔して絶望の海に落ちますように」
クリスはあらん限りの憎しみを込めてミルドレッドを呪った。その呪いの言霊は蛇のように虚空をうねり旋回すると、ミルドレッドの元へ飛んで行った。
「絶望に苦しむがいいわ、ミルドレッド様。いいえ、ミルドレッド。何もかも貴女が悪い。貴女が私の人生に影を落としたのよ……」
クリスがここまでミルドレッドを憎むのには訳がある。あれはミルドレッドの元に入門した時のこと。言葉の意味や正確な使い方を誤解していたクリスは、ミルドレッドから教わった言霊を暴発させて、失敗ばかりしていた。
「みんなもちゃんと辞書を読んで、言葉の正確な意味を覚えなさい。そして沢山本を読むこと。現代の乱れた言葉に慣れた子は、言霊使いになれないわ。クリスみたいになるわよ」
クリスにとって、まるで馬鹿の見本のように侮辱されることは耐え難い屈辱だった。クリスは学生時代優秀な成績を鼻に掛けていたのだ。みんなのアイドルで、勉強の相談にもよく乗っていた。それが、ミルドレッドには馬鹿にされ、エラとニナには嗤われ、無能者だと虐められた。
「私が悪いんじゃない。ミルドレッドが無闇に小難しい言葉遣いをするからよ。もっと易しい今風の言葉に言い替えることもできるのに、古臭い厳めしい言葉で言霊を教えるから」
完全なる逆恨みであるが、クリスの中では自分を責めて反省するという殊勝な心掛けは存在しなかった。自分が失敗するのはいつも誰かのせい。私は何も間違っていない。可愛くて頭の良い私が失敗するわけがない。私はやればできる。誰よりも私は私自身を信じる。
クリスは荷物をまとめるとミルドレッドの屋敷から飛び出した。ミルドレッドの屋敷にいたのはほんの一か月ほどのことである。しかし、クリスにとってその一か月は心が壊れるのに十分すぎる、地獄のような時間だった。
クリスはアレキサンドライトの屋敷に入門すると、生まれ変わったように明るくなった。
「クリスはお姫様みたいに可愛いね。頭もいいし」
そんな風に持ち上げられるものだから、アクセサリーショップでおもちゃのティアラを買って身に着けた。
クリスは優秀な言霊使いとしてアレキサンドライトに溺愛された。すべて順調だった。だのに。彼女らは再びクリスを脅かしに現れた。
「見てなさい、ミルドレッド、エラ、ニナ。あなたたちの事務所が二度とやっていけないようにしてやる」
そして、場面はガイとクリスの取り巻きの男たちが睨み合う場面に戻る。
「んだぁーーー?!くらあーーー!!!」
先に緊張状態を破ったのはクリスの取り巻きの男の中の一人だ。ガイを椅子から引きずり倒し、蹴りを食らわせる。予想外の方向から体勢を崩されたガイはしばらく男たちに蹴られることとなる。しかし、ガイもやられっぱなしではない。蹴る男の軸足を掴み、転倒させると、素早く体勢を立て直した。
「一人に大勢で卑怯じゃねえかよ。つるまねえと何もできねえのかもしれねえが」
ガイは口に溜まった血を吐き出すと、勢いよく男達に殴り掛かりに行った。
クリスは静観している。ここでガイを半殺しにして言霊で回復して恩を売れば、ミルドレッドの男であるガイを手玉にとれるだろうと計算してのことだ。
しかし、計算外のことが起きた。ガイが予想以上に強い。男たちは片っ端からガイにやられて酒場に転がった。
「この俺に喧嘩を売ろうなんて100年早いぜ。伊達に社会の裏を渡り歩いちゃいねえんだよ」
「が、ガイさん……」
計算が狂った。クリスは必死に今後の流れを計算しなおす。どうしたらミルドレッドを出し抜ける?
「クリス、怪我はねえか?」
ガイが男達に背を向けてクリスに微笑んだ。すると、またも予想外のことが起きた。
「死にさらせやゴルァ!!!」
なんと、倒れた男の一人が刃渡りの長いナイフを取り出し、ガイを背中から一突きにした。
「て……めえ……くそ、油断した……」
「キャ―――――!!!!」
困ったのはクリスだ。ミルドレッドに一泡吹かせるための手駒であるガイを殺されるのはやりすぎだ。蘇生など言霊使いの領域ではない。それは奇跡使いの能力であり、奇跡使いの中でも禁呪にあたるのに。
「やりすぎよテディ!!殺されたら私には何もできないの!!」
「く、クリス……ごめんよ……」
刺した男はナイフを取り落とし、倒れたガイを呆然と見下ろした。クリスはガイの息を確かめると、最大のパワーで回復の言霊を唱える。
「愛の古霊アマーレよ、死の淵に立つガイの傷を癒し給え!目を覚まして、ガイさん!」
クリスの言霊は間一髪でガイの命を救ったようだ。ガイは吐血したが、見る見るうちに傷や怪我が修復してゆく。
「クリス、助かったぜ」
「ガイさん……ごめんなさい」
クリスは泣き出してしまった。やりすぎた。ここまでやるつもりではなかった。
「おい、てめえら、女の子泣かせておいて、それでもこの子のお友達のつもりかよ。最低だな。クリス、もういい。泣くな。俺は大丈夫だ。お前さんは悪くねえよ」
倒れた男たちは立場がない。話が違う。結果クリスを泣かせることになってしまった。ばつが悪くなった男たちは気絶したふりをして倒れていた。
「ガイさん、何かお詫びします。私をガイさんのお家に連れてって」
ガイは迷った。だが、クリスが泣きながらどうしてもお詫びしたいというので、ガイはミルドレッドとの新居ではなく、個人的な住処にしているマンションへとクリスを連れてゆくことにした。
クリスはガイとともに地下鉄に乗って考えた。恩を体で払ってしまえばいいかもしれない。計算は狂ったが、事態は予想よりもいい方向に進んでいるかもしれない。
「ただいまー。ガイ?疲れたんだけど」
ミルドレッドは安アパートの自室に帰宅してガイを探した。しかし、その姿が見えない。そういえば喧嘩をしたんだっけ……。
ミルドレッドは自分で料理を作り、一人で食べることにした。だが、一抹の不安がよぎった。あの飄々とした性格のガイが、女たらしのガイが、彼女と喧嘩したらどんな行動に出るだろう。
「浮気してんじゃないでしょうね……。そういえば、あいつ、自分のマンションはそのまま借りてるんだったわ」
ミルドレッドはガイのマンションへ様子を見に行くことにした。ガイのマンションの合鍵は持っている。だが、なぜだろう。今度の浮気はただの浮気ではないような気がする。もう二度と彼女のもとにガイは帰ってこないかもしれない。
ミルドレッドの心臓が早鐘を打つ。どうしてこんなに不安に駆られるのだろう。この胸騒ぎはどこから来るのだろう。
「ガイ、お願い、今更あたしの元からいなくならないで……!」
一方クリスとガイはマンションに到着し、クリスはガイの冷蔵庫の食材を探した。
「何か簡単に作りますね☆」
「ありがとう。誰かに作ってもらうのは久しぶりだぜ」
クリスはジャガイモを切ると油で炒めて、冷蔵庫に入っていたビール瓶とグラスを用意した。
「あんなことになっちゃったから、飲みなおしません?」
ミルドレッドは車がガイに奪われているため、地下鉄へと走った。地下鉄から数駅行けば、ほどなくガイのマンションにたどり着く。だが、地下鉄が遠い。ミルドレッドは一気に走る足も止まり、時々歩きながら道を急いだ。
「いつも、車だから、地下鉄が、こんなに、遠いなんて」
「ガイさん、私酔っぱらってきちゃった。ふわふわします。今なら何でもできそう……」
「俺も今日は酔ったなあ。何してくれるんだ、クリス?」
クリスはガイを押し倒すと、ズボンのベルトに手を伸ばした。
「口でご奉仕してもいいですよ……」
「ごめん、ガイ、あたしが悪かった。今までのこと謝るから、あたしを部屋に入れて……」
ミルドレッドは地下鉄に揺られ、祈るような気持ちで車内アナウンスに耳を傾けた。
あともう少しで、ガイのマンションに着く。マンションの最上階、10階。エレベーターから飛び出し、ガイの部屋の鍵を開ける。しかし、鍵は開いていた。
「ガイ!!あたしが悪かったわ!!帰ってきて!!」
しかしそこにいたのは、下半身を晒したガイを組み敷く下着姿のクリスという光景だった。