【短編番外】凍り付いた感情が溶けた日



2025-02-06 20:37:36
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「あっはっはっは!おっかしい!!何言ってるのこれ、あはは」
 居間のテレビではふざけたバラエティ番組が放映されていた。それを見て、大笑いをするテンパランス。アルシャインと結婚して以降、テンパランスは人が変わったようによく笑い、よく泣き、よく怒るようになった。今までテンパランスが表情筋を使ったところを見たことがなかったイオナは、とても不思議そうな顔をする。
「テンパランス様、最近よく笑うようになりましたね」
 笑いすぎて涙が滲んだテンパランスは、涙をぬぐいながらイオナに顔を向けた。
「え?そう?ちょっとイオナ、これ面白くない?ダメ私これ笑い死にそう」
「ええ、面白いですよね」
 テンパランスが楽しそうならいいか、と、イオナは一緒にテレビを見ることにした。

 テンパランスがこんなに表情を表出するようになったのには、ある理由があった。それは、テンパランスの想いとアルシャインの想いが通じて、二人が恋人同士になったある日のこと。テンパランスの元に、とある依頼が舞い込んだのである。
「殺しをやってくれないか。金は出す」
 とある建築会社の社長からの依頼だった。下請けの建築会社のプロジェクトリーダーを殺害してほしいという。
「そんな……できません。うちは奇跡使いです。神職です。殺しはしていません」
「そうなのか?使えないな。最近ミルドレッドも殺しをやりたがらなくてな。依頼したら断られた。貴女はミルドレッドと営業成績競ってるんじゃなかったか?どうしても消してほしいやつがいるんだ」
「営業成績なんて競っていません。彼女は私の親友です。殺しの依頼でしたら他の言霊使いに依頼されては?」
「金は弾む。バレないように突然死に見立ててくれれば、誰もあんたたちが殺したなんて気づかないよ」
 そう押し通されて、テンパランスとアルシャインは、ある夜、酒に酔ったターゲットを奇跡で殺害した。
 依頼とはいえ、殺しに手を染めてしまった罪悪感で、二人は眠れない夜を過ごした。

 依頼達成の報告をしに、後日二人が建設会社に赴くと、開口一番放たれた言葉は怒声だった。
「なんてことをしてくれたんだ?!確実に殺せといっただろう!!」
「どういう……ことですか?」
 彼が言うところによると、ターゲットは刺し傷と転倒したショックで意識を失ったが、通行人に救急搬送されて一命をとりとめ、暗殺されそうになったと主張しているという。
「奴が回復したら捜査が始まる。そしたら簡単に足がついてワシが逮捕されてしまうではないか!!貴様らのせいだ!!このぼったくり奇跡使いめ!!」
「そんな、私たちはもともと暗殺をしない職業です。どうしてもというから『確実なことは言えないことをご了承の上』と約束したではないですか!」
「だまれ!!金は一銭も出さんぞ!さっさと帰れ!二度と来るな!」
 そして社長は駄目押しにテンパランスの尊厳を傷つけるようなセリフを吐いた。
「これだから女奇跡使いなんて腑抜けで使えないんだ。男の奇跡使いだったら仕損じることなんてなかったはずなのに。女のくせに男の仕事にしゃしゃり出てきて……!今までどんな方法で仕事取ってきたんだろうな!女は気楽なもんだ。色目使えば仕事が取れるんだからな!力もないくせに!」
 テンパランスはその言葉に深く傷ついた。瞬間的に殺してやろうかと思ったが、なぜだか心の奥にブレーキがかかり、沸騰しかけた怒りが瞬時に冷めてしまった。
 しかしアルシャインは怒りが止められない。
「その言葉は聞き捨てならないですね!」
 と、社長につかみかかり、今にも殴ろうとしたので、テンパランスは叫んだ。
「およしなさいアルシャイン!!帰りますよ。失礼しました。二度と会うこともないでしょう」
 テンパランスは驚くアルシャインを社長から引きはがして、建築会社を後にした。

 建築会社から去り、最寄りの自動販売機の前でコーヒーを買った二人は、車の中で先ほどの出来事について語り合っていた。
「何もあそこまで言うことないでしょうに……!保証はしないって念を押したのに!もともと奇跡使いは殺しをできるようになっていない!ララはどう思ってるんですか?!よく怒りを鎮めましたね?!」
 アルシャインは怒り狂っていた。一方で、テンパランスはうつむいてコーヒーも飲まず何かに耐えていた。
「ララ……?」
「……ふっ……うっ……!」
 見ると、テンパランスは髪で顔を隠しながら静かに涙を流していた。
「ララ……」
 テンパランスは涙をぬぐうと、いつもの無表情で顔を上げ、「こんなことも、たまにはありますよ」と、気丈に言って缶コーヒーを開けようとした。
「ララ!!こういう日は、怒っていい!泣いていい!なんで平気そうな顔をするんですか!?」
 アルシャインはテンパランスを抱きしめ、諫めた。
「仕事するうえで、感情を表に出してはいけないの。叱られるわ」
「誰に?!」
「誰に?……誰、かしら……。そうね、考えてみたら、誰かしら……?」
 テンパランスは人形のように美しい無表情で、アルシャインに抱きしめられていた。
「感情を出したら、叱られるのよ。泣いたら叩かれるわ。笑ったら打たれるわ。怒ったら、外に締め出されるのよ」
「だから、誰がそんなことするんですか?!ララ、現実に返ってください。誰も今のあなたをそんな風にする人はいない!!」
「いない……?だって、私はそうして、今まで……」
 アルシャインはテンパランスを引きはがして、彼女の両肩を掴んでまっすぐ目を見つめた。
「ララ、怒ったら怒ればいい、泣きたいときは泣いていい。笑いたければ笑えばいいんだ。それは恥ずかしい事でもないし、誰も貴女を叱ったりなんかしない。貴女は事務所の代表だ。トップだ。貴女を虐げる人なんていないんですよ?」
 怯えた表情で困惑するテンパランスを見て、アルシャインはハッとした。怖がらせてはいけない。テンパランスは怖がっているのだ。アルシャインは顔をほころばせ、
「あなたが感情を抑えられなかったら、僕が全部受け止めます。だから安心して、泣きたいときは泣いていいんです」
 と、優しく語りかけた。
 テンパランスの中で、何かが大きく壊れるような気がして、吐き気が込み上げてきた。頭が痛い。寒気がする。これは一体?これは一体?何かが噴き出してくる。爆発しそうで、何かが出てきそうで、これは……?
「……っ!」
 テンパランスはぐにゃっと顔を歪め、何かに抗おうとしていた。だが、愛しいアルシャインの顔を見ていたら、すべて許されるような気がして、堰を切ったように涙があふれてきた。
「あ……あ……ああ……ああああああああああああ!!!!」
 テンパランスは声をあげて泣き、アルシャインの胸に飛び込んだ。
「悔しい!!悔しい!!悔しい!!ああああああああ!!!」
「悔しかったね。腹が立ったね。いいんだよ。全部ぶちまけていいんだよ」
「私のせいじゃないもの!やったことなんてないんだもの!!女だからって得したことなんか一回もなかったもの!!女だからって何よ!!みんな私のこと馬鹿にして!!ううう~~~~!!!!」
「うん……うん……」
「あんな奴こそ死んでしまえばいいんだわ!!人の死を願う奴がまず先に死ぬべきよ!!助かってよかったじゃない!報いを受けなさいよ!!神の罰を受けなさいよ!!地獄に堕ちろ!クソ狸爺!!売女の息子め!!地獄に堕ちろ!!」
 その後も二時間にわたってテンパランスは今まで封印していた怒りや不満や辛かった思い出を呪い続けた。止めようとしても止まらなかった。アルシャインはただ静かに彼女の感情を受け止めていた。

 それ以降、テンパランスは感情を封印することを一切やめた。
 よく笑い、よく泣き、よく怒るようになった。リアクションも驚くほど豊かになった。人形に血が通って動き始めたかのように、氷の女だったテンパランスに、人間らしさが宿った。
 感情豊かになったテンパランスは、意外とおっちょこちょいで、おちゃめな人物であることが分かった。笑顔はハッとするほど柔らかく美しく、幸せそうな顔をする。
「なんか最近顔中が痛いの。なんでかしら?」
 洗面台の鏡を見ながら変顔をするテンパランスを横で見ながら、イオナは言った。
「表情筋が筋肉痛になってるんじゃないですか?」
「あー、そうかしら。なんか、聞いたのよね。表情筋使わないと老けるらしいんですって。表情筋、鍛えないとね!」
 そう言って、テンパランスは今まで誰も見たことがないような変顔をし続けた。
「あたしも顔の体操しよう!」
 イオナが隣に立ち、テンパランスに負けないように変顔をする。
「何その顔――!!ちょっと笑わせないで――!!」
「さっきのテンパランス様のほうが変な顔してましたー!」
 洗面所に用があったアルシャインがそれを見て笑った。大騒ぎする三人の楽しそうな雰囲気につられて、ニコもやってきた。
 四人の変顔大会で、四人は腹筋が疲れるほど笑い合った。
 あの一件以降、静かだったテンパランスの事務所から、よく笑い声が響くようになったという。

END.

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