【短編番外】殉職



2025-02-04 17:43:21
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 昔、ある一人の婦人警官がいた。当時は婦人警官の数も少なく、担当する業務も限られていたという。しかし彼女は持ち前の正義感と身体能力でこの性差を乗り越え、メキメキと昇級していった。
 彼女の名はコリーン。のちに死女神のカフィンと呼ばれる女性である。

 コリーンは刑事事件を担当する警察官だ。この日も管轄地域の銀行に強盗が押し入り、人質を取って立てこもりを続けているという事件を担当していた。
 強盗は複数人のグループで、銃を所持していた。彼らを刺激しないように交渉人――ネゴシエーターが犯人を刺激しないよう説得していた。
「金を出しさえすれば人質は解放してやる。他にお前らと話すことはない」
「いくらあれば満足だ?」
「有り金全部だ。ATMの中の小銭まで耳を揃えて全額戴く」
「それは不可能な話だ。君たちの力で運べるとでも?」
「いいから全額寄越せ!さっさと金を外のトラックに積め!」
 交渉は難航していた。刺激すれば犠牲者が出てしまう。コリーンはネゴシエーターの説得に耳を傾け、一人でも多くの人の無事を祈った。
 思い返せば、彼女の周りにはいつも悲惨な事件ばかり起こっていた。人種差別により無残に命を落とした人、親の暴力で散った幼い命、気の狂った男に未来を絶たれた罪もない人々。カフィンは警察官になっていつも悔やみ続けていた。こんな職業に就かなければ知りえなかった人間の暗部。それを未然に防げない社会のシステムに、歯がゆさを覚えていた。せめて犠牲者がまだ出ていないこの事件だけでも、無事に人々の命を救えれば――。
 交渉の結果、ネゴシエーターは形だけでも金をトラックに運ぶようにして見せろと指示した。
 トランクをトラックに積み込むと、犯人の一人が中身を確認してすべて積み込むのを見届ける。
 次に人質の解放だ。犯人は一人ずつ人質を解放し、すべての人質が保護されるのを見届けると、トラックに乗り込もうと外に出てきた。そのタイミングで、先にトラックへの金の積み込みを監視していた犯人が捕獲され、「兄弟!捕まった!」と叫んだ。
 途端に辺りは戦場と化した。犯人グループが銃を乱射して抵抗し、複数の警察官が被弾した。その場にいたコリーンも勇敢に銃撃戦に参加していたが、犯人グループの一人が撃った銃弾が左目を貫通してしまった。銃弾は脳の重要な組織を破壊し、コリーンはそのまま殉職してしまった。

 コリーンは志半ばで命を絶たれたことを悔やみ続けていた。もっと人の役に立ちたかった。もっと沢山の人を救いたかった。もっと生きていたかった――。
「悔しいかね、コリーン」
 全身白骨化した死神が彼女の魂に問いかける。
「悔しい。罪もない仲間も大勢失った。誰一人守れなかった。もっと生きていたいという人たちの未来を守れなかった。悔しい」
 コリーンは後悔に苛まれ、もっと違う未来があったのではないかと悔やみ続けていた。
「人が死ぬのが嫌か?」
「当たり前だ。一人でも多くの人を救うのが私の務めだった」
「ならば、その崇高な志を表してお前に新しい仕事をやろう」
「新しい仕事……?死んだ私に仕事なんてあるのか?」
「あるさ、お似合いの仕事がな」
 死神は表情の読めないしゃれこうべをカタカタ動かして、笑って見せた。
「お前は死神になるんだよ」
 瞬間、コリーンはカッと頭に血が上った。人を救いたいと言っているのに、死神になれだと?
「私は人を救いたいと言っていたのが聞こえなかったか?!なぜ人の命を奪う死神になれなんて言うんだ!」
 死神は両手を突き出してコリーンを制止しようとした。実は大きな誤解があるのだ。
「コリーン、君は誤解している。死神は、人の命を奪わない」
「何だと?」
 死神は努めて優しい声色で説明する。
「死神というのはね、死が迫っている人のそばに立って、その手を引くだけなのだ。そこで死にかけている者がどうしても死にたくないというならば、生きるチャンスやヒントを与えることもできる。死神は人の死に際に立ち会う神なんだよ。人の命を奪うのは死神の仕事ではない。それは悪魔の仕事だ」
 コリーンにはいまいち理解できなかった。そこで、死神は水盤の元にコリーンを連れてきた。水盤の水面を覗き込むと、そこにコリーンの顔が写り込んだ。彼女は顔の左側が黒ずみ、眼球が露出している醜い容貌になっていた。
「私、ずいぶんひどい顔をしているな。これじゃまるで本当の死神みたいだ」
「そうだね。死神らしい顔をしているよ」
「見たまえ」と言って、死神が水盤に触れると、そこにほかの死神の仕事ぶりが映った。皆体の一部が白骨化し、この世の者ではない雰囲気を醸し出していたが、その表情はどれも穏やかだった。
「彼らが無理やり魂を刈り取っているように見えるかね?」
「……いや、皆、優しい顔をしているな。命を刈り取られているほうも、抵抗せず喜んで手を差し出している」
 死神は付け加える。
「たまに抵抗されることもあるのだよ。その時は、安心して死ねるよう説得するのが仕事だ」
「どうしても死に抵抗する魂は?」
「無理やり引きはがす。だが、天国に連れていく前に取り逃がして悪霊化することもあるね。その場合は仕方ない」
「仕方ないで済むのか?」
「死後の時間の使い方は死神の仕事ではないからな」
 コリーンはしばし考えた。不慮の事故や病気で亡くなる人に、少しでも安心して死んでもらうには。仲間のネゴシエーターはどうやって説得していただろう?もし、死にたくないと考える人をわずかでも延命できるならば。
「死神」
「何だい?」
「私は死神に向いていると思うか?」
「お似合いだよコリーン。君のような高潔な魂の持ち主こそ、死神にふさわしい」
「なら、私は死神になろう」
 死神は満足そうにゆっくりと頷いて見せ、バインダーに挟まった契約書を取り出して差し出した。
「この契約書に名前を書いてみてくれるかい?」
「解った」
 しかし、コリーンはここでミスを犯してしまう。左目の見え方が悪く、右目の視力だけで記入欄を見ていたコリーンは目の焦点が合わず、“Collin”を書き損じて“Coffin”と書いてしまった。
「あっ、失敗した。書き直しできないか?」
 死神はそれを見て、ハハハと笑った。
「棺(カフィン)か!実に死神らしい名前じゃないか。そのままにしよう、コリーン。君は今日から死神のカフィンだ!」
「カフィン……。まあ、いいか。気持ちの切り替えができてよかったよ。解った。私は今日から死神のカフィンとして立派に務め上げてみせる」

 その後、何十年とカフィンは死神として沢山の魂を救ってきた。年々顔の半分の白骨化が進み、顔は醜くなっていく一方だったが、そんな顔の変化もカフィンにとっては勲章だった。
 だが、時代は変わり、世にインターネットが普及するようになり、社会の労働環境が変わり、家族の在り方も変化していくにつれ、困った魂が徐々に増えてきた。特に若年層を中心に、死ぬ気もないのに死にたがる困った者が増えてきたのだ。彼らは死にかけると死にたくないと我が儘を言う。だが、一方で頻繁に死のうと試みる。カフィンはそのたびに彼らに呼び出され、抵抗されて生き延びて無駄足を踏むことが多くなった。
「貴様が死にたいと願ったのだろう!大人しく死ね!」
「やっぱり死ぬの怖い!もう死にたいって言わないから助けて!」
(私は一体何の為に呼び出されたんだ……!軽々しく死にたいなどと口にするな!私は生きたくても生きられなかったのだぞ!生きたくても生きられない魂に失礼だと思わないのか、くだらない理由で死の真似事なんぞして!)
 カフィンは死後の世界で酒をあおるようになった。酒を飲んでも死にはしないので、気が済むまで酔って憂さを晴らす。
「カフィン、荒れてるね」
 先輩死神のジャスパーが声を掛けてきた。
「これが荒れずにいられるか。どいつもこいつも死にたい死にたいと……!なぜ世界はこうなってしまったんだ?何がどうなって皆軽々しく死のうとするんだ?」
「社会の悪意が身近になったからだよ」
 ジャスパーは分析する。
「その大きな理由がインターネットだ。インターネットは誰もが自由に発言し、出会うことのなかった者達を引き合わせる。そこで人と人の摩擦が生まれて、インターネットがなかった時代には考えられなかった問題が起きているのさ。慣習やしきたりに縛られて従わなければならない時代は終わった。だから人は自由を手に入れ、選択肢が増えた。これまでは手を出したくても出せなかった繋がりにアクセスするようになった。しきたりに従っていた時には抱えなくてよかった摩擦を抱えるようになった。出会わずに済んでいた人と出会い、余計なストレスを抱えるようになった。身体的な危険が減り、便利になった代償に、人々は精神をやられるようになってしまったんだ」
 カフィンもそれを聞いて同意した。人々が出会いやすくなって、余計な気苦労が増えた気がする。これからも人々は抱えなくてもいい気苦労を抱え、死に魅了されて命を粗末にしたがるのだろう。なんとも、難しい時代になってしまったものだ。
「こんなサイトもあるんだよ」
 ジャスパーはスマートフォンを操作してとあるサイトを見せた。
「“How to suicide”……?」
「自殺の仕方を教える情報サイトさ。こんなものがあるから、人々は軽々しく真似をするんだ。このサイトは本も出版されている。大ベストセラーになっているらしいよ」
「馬鹿馬鹿しい!!」
「だが、これも情報化社会の闇なんだ」
「何かが間違っている。世の中が狂っている……」
 そしてカフィンはその本に導かれて死に憧れる青年に出会う。カフィンは彼を心の底から軽蔑していた。だが、彼は人一倍死のうとする一方で、人一倍魂を磨いた。嘆き苦しみながら人の光と闇に触れ、時には人を救おうとする彼の行動に、カフィンは次第に彼を認めるようになる。カフィンは彼が死ぬとき、上司にこう進言した。
「部長、お話があります。エルディを、死神にしてあげてください。あいつは、人一倍死に向き合って、人一倍死について考えてきた人間です。彼こそ、新しい時代の死神にふさわしい。私は彼を新時代の死神に推薦します」
 そう、きっと彼なら、むやみに死にたがる現代病にかかった哀れな魂を救ってくれる。カフィンは彼の可能性に賭けてみたいと思った。
 END. 

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