【番外】ちいさなこいのうた



2025-02-02 06:17:05
文字サイズ
文字組
フォントゴシック体明朝体
 11月、葵、真緋瑠、夕月の三人は、いつものように喫茶店に集っていた。話題は、「クリスマスをどう過ごすか」。
 夕月は彼氏ができたばかりだが、真緋瑠と葵は恋人がいない。ひとり者の二人は夕月をからかった。
 「夕月ちゃんは彼氏がいるから、クリスマスはラブラブですわよねー。リア充!爆発なさい!」
 真緋瑠が恨みがましく夕月の幸せを妬むと、葵はまだ体験したことのない恋人同士のクリスマスに夢を馳せた。
 「いいですわねー夕月ちゃん。きっと素敵な夜を過ごされるのね……。どんな夜だったのか、あとでお聞きしたら野暮かしら」
 しかし夕月は照れくさそうに弁解した。
 「ちょっと待ってよ!彼氏って言っても、基本ただの友達だから!そんな特別なこと全然ないからね!リア充じゃないよ!全然充実してないから!」
 「葵さん、クリスマスは私たち二人で寂しく過ごしましょう……。リア充の爆発を祈りながら」
 「そうね。夕月ちゃんの幸せを願って、私達はお邪魔しないようにしましょう」
 「二人ともー!!あたしを仲間外れにしないでくれよー!!」
 言われっぱなしで悔しくなった夕月は、葵に水を向けてみた。
 「葵、二次元に恋人がいるっていつも言ってるけど、今まで好きになった人とかいないの?葵からそういう話全然聞かないんだけど」
 葵はきょとんとして首をかしげた。思い当たる者はいない。リアルな人間など、なんだか近くて遠い存在だった。心のどこかで、自分は人間ではないと思う。
 「本当に恋をしたことが無いの。いつも、私は魔族だから、人間と結ばれてはいけないと思っていましたし」
 そう言われてみれば葵は魔族だった。触れてはいけないことに触れてしまったかと思って、夕月は反射的に「ごめん」と謝った。
 しかし、真緋瑠はそれを聞いて、「じゃあ魔族で好きな人はいないのか」と訊いてみた。
 「葵さんのお屋敷にはたくさんの魔族が働いてらっしゃるんでしょう?そうですわ!執事のギンモクセイさんとか好きになったことはないんですの?お姫様と執事の禁断の恋とか、よくある話ではなくて?」
 真緋瑠の思いつきに夕月は色めき立った。
 「あー!それありそう!!ギンモクセイさんめっちゃかっこいいよね!いっつも一緒にいるんでしょ?あんなカッコいい人がそばにいたら一度くらい好きになったりしちゃうよ!」
 そう言われても、ギンモクセイは家族同然だし、そんなにカッコいいと意識したことはない。
 「それは、幼い頃たまに一緒に寝てもらったことはありますけれど、ギンモクセイとは、そんな関係では……。それに、ギンモクセイはオジサンよ。年が離れすぎてますわ。お母さまより年上の方となんて……」
 「えー!あんなにカッコいいのにお母さんより年上なの?魔族って見た目わかんないね!」
 「葵さんが気にならないっていうなら、あたくしを紹介してくださらない?あたくしギンモクセイさん結構好きですわよ!」
 そんなにカッコいいだろうか。葵は、なんだか複雑な心持になった。
 帰宅した葵の前に、ギンモクセイが膝を折る。
 「お帰りなさいませ姫。外套とお荷物をお持ちします」
 葵はいつものように、ごく普通に外套と荷物をギンモクセイに手渡した。
 その時、ほんの少し葵の指先がギンモクセイの手に触れた。ガサガサしていて、ひんやりしていて、がっしりした大人の男の手。
 「!」
 廊下を歩くとき、斜め後ろに侍して葵についてくるギンモクセイ。だが、昼間あんな話をしたせいか、妙に意識してしまう。
 『お姫様と執事の禁断の恋』
 あり得るのだろうか。こんな年の離れたオジサンのギンモクセイが、こんな子供の自分を好きになることなど。
 「ギンモクセイ」
 「はい、姫」
 「私は、子供だと思う?」
 「?姫は年齢こそまだ幼いですが、すでに覚醒された身。立派なレディだと思います」
 その答えを聞いて、葵は自分の中で赤い実が熟れたのを感じた。私のことを大人の女性だと思ってくれている。ならば、私と恋に落ちる可能性も、無いわけではないのかしら。
 「そう。ありがとう」

 葵は湯船に浸かり、自分の体をあちこち触ってみた。
 胸は小さい。お世辞にもグラマーとは言えない。腰は太い。寸胴な気がする。お尻は小さい。太ももは太いし、脚も短いのではないかと思う。
 「私って色気が無いなあ。やっぱり体がまだ子供なのかしら。大人になるまであと80年かかるんでしょう。生理もまだだし。やっぱり覚醒したとはいえ、私はまだ子供なんですわ」
 そう言えばギンモクセイは結婚していない。恋人らしき人もいない。毎日機械のように、仕事だけをしている。心乱れる日はないのだろうか。
 「私みたいな子供でも、ギンモクセイは好きだと言ってくれるのかしら」

 一度意識し始めると、寝ても覚めても考えてしまう。ギンモクセイ。考えてみたら、ギンモクセイとのティータイムは葵にとって大好きな時間だった。
 「姫、よいですか、渋みの強いセイロンティーは、高い位置から勢いよく注ぐことによって、お茶に空気が含まれて、渋みがまろやかになるのです」
 紅茶を華麗に注ぐギンモクセイの仕草が、葵は大好きだった。一滴も紅茶をこぼすことなく、勢いよく注がれたはずの紅茶は、計ったようにちょうどいい量だった。
 さっと差し出された紅茶は、いつもの美味しいギンモクセイの味。だが、なぜだろう。意識して飲んだ紅茶は、いつもよりまろやかで甘く、透き通るようで、特別美味しい。
 「今日の紅茶は特別美味しいですわ」
 「ありがとうございます」
 見上げたギンモクセイの顔も、いつもよりカッコいいような気がして、葵は暫時見惚れる。
 「姫?」
 ギンモクセイの問いに、ハッと我に返り、葵は勉強に取り組んだ。
 どうしよう。いつの間にか本当にギンモクセイのことが好きになっている。これが初恋というものなのだろうか。葵は期末試験の勉強が全く頭に入ってこず、自己採点でバツ印ばかり付けていた。
 クリスマスが近づいてきた。三人は第三日曜日にクリスマスお茶会を企画して集まった。話題はまた恋の話だ。真緋瑠が夕月に近況を訊く。
 「その後どうですの夕月ちゃん。進展は?クリスマスにはキスぐらいなさいなさいな」
 「ブッ!!キス?!あり得ないって!まだそんなじゃないもん!!」
 葵と真緋瑠に散々いじられた夕月は、葵に反撃した。
 「葵はギンモクセイさんとその後どうなったの?なんもないの?」
 葵は痛いところを突かれた。本当はギンモクセイのことが好きで好きでたまらなくなっていた。
 「実は……」
 『うん、うん』
 「私、あれから妙に意識しちゃって……。ギンモクセイのことが本当に好きになってしまいましたの」
 「ひゃー!!葵が初恋した!!おめでとう!!」
 真緋瑠は複雑な気持ちだ。うまくいけば自分が初恋の相手になれたかもしれないのに、その初めての座を執事に取られてしまったのだから。だが、真緋瑠の心の傷はだいぶ塞がっていた。ちょっと悔しいが、親友の初恋を素直に嬉しいと思う。
 「で、何かアクション起こしましたの?」
 「アクションなんて、そんな……。ただ、ちょっと好きになっただけで、いつも通りですわ」
 ああ~~~と、脱力する夕月と真緋瑠。仕方あるまい。初恋とは得てしてそんなものだ。
 「じゃあ、クリスマスにデートしなくちゃ!姫様権限で、ギンモクセイさんに命令すんの!『このワタクシとデートなさいギンモクセイ!』って!」
 「やですわ夕月ちゃん、葵さんはそんなキャラではなくてよ。あ、そう言えば名前が変わってから女王様キャラが付いたんでしたわね。うふふ。葵さんやりそう!」
 葵は今年の夏の自分の黒歴史を弄られて、頬を膨らませた。
 「ちょっとー!あれはまだ私が不安定だっただけで!今はそんなことありませんわ!」
 「でもいいじゃん!クリスマスにデートして貰いなよ!相手は大人だから、きっとロマンチックな夜になるよ!」
 そう言われると、想像してしまう。ギンモクセイと手をつないで、イルミネーションに彩られた街を歩いて、高級レストランで、美味しい食事をして……。
 「そ、そうかしら……。試してみようかしら」

 その日の夜、帰宅した葵の前に、いつものように膝を折るギンモクセイ。そこへ、葵は彼に命令を下した。
 「ギンモクセイ。クリスマスイブの夜、私とショッピングに付き合っていただきますよ。車を出しなさい」
 「?はい、畏まりました。他のお供は御入用ですか?」
 「ギンモクセイだけでよいです。私と二人で歩いていただきます」
 「畏まりました」
 言ってしまってから、葵は「もしかしたらもっと可愛くおねだりした方がよかったかしら」と後悔した。
 クリスマスイブ。学校から帰った葵は、ギンモクセイがハンドルを握る車に乗り込んだ。
 「姫、今日はどちらに行かれますか?」
 「衣笠区の中心街に行きましょう。333にも寄りたいわ」
 「畏まりました」
 車はほどなく衣笠区の中心街に着いた。駐車場を探し、車を停め、降りる。
 街はイルミネーションに彩られ、クリスマスを楽しむ人でごった返していた。
 「姫、私からはぐれませんようお気を付けください」
 ギンモクセイは葵の手を握り、彼女の斜め前を歩いた。葵の胸がドキンと跳ねる。
 (ギンモクセイ……!ギンモクセイと、手を……!)
 ショッピングセンター333の5F、ゴシックアンドロリータ専門階を見て回ったが、葵はギンモクセイとデートしているという事実だけで胸がいっぱいで、何も欲しいものなどなかった。
 「本当によろしいのですか?」
 「ええ。今はあんまり欲しいものはありませんわ(ギンモクセイとこうしてられるだけで幸せ……)」
 葵がぼうっとフロア内の店を見て回っていると、気が付いたらギンモクセイがいない。葵は慌ててギンモクセイを探した。
 「ギンモクセイ!どこですか?ギンモクセイ?!」
 すると、こちらに気づいたギンモクセイが駆け寄ってきた。
 「姫、失礼いたしました。ギンモクセイはここです。姫のお傍にいたつもりでしたが、見失ってしまい、ご心配をおかけしました」
 「いえ、私も一人でフラフラして、失礼いたしましたわ。行きましょう、ギンモクセイ」
 「姫、次はどちらへ?」
 葵はすでに考えていた。ギンモクセイと、高級レストランでディナー。葵は酒を飲めないので、ジュースで乾杯というのが少し悔しいが、きっと素敵な夜になるに違いない。
 「レストランでディナーを戴きましょう。今夜はまだ帰りませんわ」
 「畏まりました」
 しかし、レストランに着いた途端ギンモクセイはいつもの執事の仕事をし始めた。葵の外套を脱がし、椅子を引き、掛けさせ、葵が何か注文しても、ギンモクセイは水以外を注文しなかった。
 「ギンモクセイ!今日はギンモクセイと私のデートですの!執事の仕事はしなくていいのですわ!あなたも何か頼みなさい!」
 「よろしいのですか?執事の私が姫とお食事を共にしても?では、畏れながら、御相伴に与からせて戴きます」
 ギンモクセイが葵と差し向かいで何かを食べる姿は初めて見る。ナイフとフォークの扱いがスマートで上品だ。やはりギンモクセイは何をするにも様になる。
 葵は思い切って告白した。
 「ギンモクセイ。私、貴方のことが好きよ」
 ギンモクセイもそれに事務的に答える。
 「私も姫のことが大好きですよ」
 葵は耳まで真っ赤になった。
 「ギンモクセイ。私今とても幸せよ」
 「私もです、姫。光栄にございます」
 レストランから外に出ると、外の空気は急激に冷え込み、冷たい風が吹き付けてきた。
 「寒い……」
葵が手に息を吹きかけると、ギンモクセイは葵の右手を握り、自分のトレンチコートのポケットにねじ込んだ。
 「こうすれば暖かいですね」
 葵にとって、暖かくなったのは右手に留まらなかった。
 楽しい時間は一瞬で過ぎ去ってしまうもので。車が自宅に着くと、葵とギンモクセイは姫と執事に戻ってしまう。名残惜しい葵は、最後のクリスマスの我侭を言った。
 「ギンモクセイ。今夜、私、ギンモクセイの部屋で寝てもいいかしら?」
 驚いたのはギンモクセイだ。一体葵はどうしてしまったのだろう。今日は妙にべったり甘えてくる。主人である葵の言うことだ。逆らうつもりはないが、少々疑問に思う。
 「どうかなさったのですか、姫?何か悩みがあって、このギンモクセイをお頼りなのですか?」
 「そ、そいうのでは……」
 「姫が寂しくて眠れないというのでありましたら、添い寝申し上げますが」
 「うん……」

 風呂から上がり、ギンモクセイの部屋に行くと、ギンモクセイはベッドで本を読んで待っていた。
 葵が布団に潜り込むと、ギンモクセイは葵に腕枕をし、枕もとの明かりを落とす。
 「おやすみなさいませ、姫」
 「おやすみなさい、ギンモクセイ」
 ギンモクセイの大きな胸に抱かれ、逞しい腕に包まれ、暖かくて、大人の男の匂いがして、葵は一層熱っぽくなった。とても眠れそうにない。
 それに、こんな年ごろの娘に添い寝をお願いされたら、如何なギンモクセイといえど、理性も木っ端みじんに吹き飛ぶはず。
 襲われてしまったらどうしよう。初恋で処女を失うのか。
 今か今かと期待に胸を膨らませる葵だったが。
 ギンモクセイが寝息を立て始めた。
 「ギンモクセイ!」
 「は?!姫?いかがなさいました?!」
 「貴方、私が傍にいるというのに、何も、無いの?」
 「何も、と、申しますと?」
 葵はもう、期待しても無駄だと思ったので、思い切って告白することにした。
 「ギンモクセイ、私、貴方のことが好き!だから、私を襲いたければ、食べてくださっていいのよ?」
 ギンモクセイは半身を起こし、葵に向き直った。
 「姫、私は執事です。主人である姫をどうこうすることは、許されないのです」
 しかし葵とて、そんなことは解りきっている。
 「じゃあ、姫としてではなく、執事としてではなく、男と女として、私のことはどう思っているの?」
 ギンモクセイは正直に言う。
 「男と女としては、別段何も思うところはありません。私はあくまでも、姫の執事です」
 それを聞いて、葵はくしゃくしゃに顔を歪ませた。視界が涙でぼやけてくる。
 「そんな……。レストランで、私のことを好きだと言ってくれたのは、あれは嘘だったの?」
 「嘘ではありません。私は姫のことが大好きですよ。ですが、劣情を抱いているわけではありません。人として、好きです」
 「そんな、そんな情けは要らないわ!私は、ただあなたと両思いになりたいだけなのに!」
 うわあんと声を上げて泣く葵に、ギンモクセイは一つ溜息をつき、瞳をくるりと回した。そして、ベッドから降りて机の上にあった小さな包みを持ってくると、葵に手渡した。
 「姫、これは先ほど一緒に立ち寄った店で手に入れたものです。明日の朝には姫の枕元に置いておこうと思っていました。開けてください」
 グスグスとしゃくりあげながら、葵が包みを開けてみると、中にはセルフィドの透かし模様のリングが収められていた。
 「メリークリスマス、姫様。今夜は素敵な夜をありがとうございました。ギンモクセイは姫のお供ができて、幸せでございました。それは本当です」
 ギンモクセイは葵の手からリングを取り、葵の右手の薬指に嵌めた。
 「姫、貴女はまだ幼い。あなたの人生はまだまだこれからなのです。きっと人間世界の中で人間の友達に影響されて、焦っただけでしょう。何も焦って恋をしなくても、これから貴女に相応しい方がきっと現れます。私に貞操を預けるなどという、早まった真似はなさいませんよう」
 そうは言われても、葵の心は釈然としない。
 「左手の薬指が良かったわ」
 「左手の薬指は、いつか現れる誰かのために譲ります。ですから、私は右手の薬指を戴くことにいたします。それではご満足いただけませんか?」
 葵はギンモクセイの瞳を見つめた。ギンモクセイも見つめ返す。
 「今は姫だけのギンモクセイですよ」
 葵の顔が薔薇色に染まる。ギンモクセイはゆっくりと葵の体を布団の中に収め、腕枕をし、葵を包み込むように抱きしめた。
 「今度こそ、ごゆっくりお休みくださいませ、姫」
 「ありがとう。おやすみなさい、ギンモクセイ。メリークリスマス」

 25日。二学期の終業式に出かけた葵を見送ったギンモクセイの背に、葵の母、ひなげしが声をかけた。
 「昨夜は葵とずいぶん仲良かったみたいね」
 「陛下。いえ、何も間違いは起こしておりませんよ。ご安心ください」
 反射的にそう返してしまってから、ギンモクセイはしまったと思った。まるで何かあったと証明したようなものだ。
 「あら、まだ何も聞いてないのに、間違いだなんて。本当に何もないの?」
 「誓って、ございません」
 ひなげしは、血は争えないな、と思った。
 「私がまだ幼い時も、貴方は私に間違いを起こしてくれなかったわよね」
 「そんなこともございましたね」
 「相変わらずイケズなのね。親子そろって振るなんて」
 ギンモクセイは涼しい顔で微笑んだ。
 「私はあくまでも、グラジオラス家の執事ですので」

END.

いいね!